北愛知ワンコリアの会では6月21日(土)、愛知県春日井市内で「朝鮮時代の書院について~書院教育と商人道徳との関わり~」と題して懇談会を開催。講師は岐阜女子大学、韓国の東洋大学校・圓光大学校等で研究員を務めておられる森澤久雄氏。在日コリアン、日本人等17名が参加した。
約1時間の講演の後、講師を中心に歴史、教育問題、日本と朝鮮半島の政治問題にいたるまで幅広くディスカッションがなされた。
講演の要旨は以下の通り。
「概して韓国の学生の勉強熱心さ、教師、親への礼儀正しさには李朝時代の儒教教育の伝統と教育熱が今に残っている側面がある。
(李氏)朝鮮前期の頃、現在の国立大学にあたる郷校が各地方にあったが、壊滅状態になってから各地で私立大学にあたる書院が作られてきた。最盛期は、600ほどにもなった。今でも事務所を設けて維持されているところがある。高麗時代から寺子屋に相当する書堂というものもあったが、日本の寺子屋が習い事が目的だったのに対し、朝鮮半島は、『科挙に合格し、出世するため』という明確な目的性があった。書院に受かるため、書堂さらには家庭で勉強をする。両班、高級官僚を全国民が目指していた。文字はすべて漢字で中国読みでやる。後期になると書院も崩れてくるが、寺子屋だけは書堂という名前で日本の統治時代も残っていった。いくら外国の侵略があっても日本が統治しても朝鮮半島の人達から教育を奪うことができない。
< 森澤久雄氏 >
教育にたいする熱心さが今も脈々と続いている。17~18世紀になると孟子、孔子等と戦争の義士を祀るものと別れてくるようになる。後に書院も弊害が起き、庶民から祭儒銭を取り立て、結果的に国家財政を蝕むようになったため、興宣大院君が47を除き排除命令を下した。また壬申の乱以降、両班の没落と両班出身の商人が出現し、学問のある儒教商人の出現が開城商人とともに朝鮮半島の近代経済発展の礎を築いた。日本でこの精神を受け継いだのは近江商人である。」
(記・北愛知 木村光宏)