【11連合会広島】日韓トンネル視察ツアー
平和統一聯合第11連合会の日韓トンネルツアーが6月4~5日にかけて行われ、11連合会の韓昱洙会長をはじめとして、36人が参加した。広島市内を出発し、佐賀県の有田焼を見学、嬉野温泉に宿泊、翌日、日韓トンネル工事現場を視察し、日本と韓国の過去の歴史を学ぶ名護屋城跡を見学し、日韓トンネルの実現と南北統一を祈願した。
一行は、6月4日観光バスの中で自己紹介を行い、日韓トンネル事業のビデオを鑑賞、楽しいナンセンスクイズなどをして参加者の相互交流をはかった。
バスは佐賀県に入り、有田町歴史民俗資料館を見学。資料館には日本の戦国時代、豊臣秀吉が文禄・慶長の役で連れてきたとされる韓国の陶工である李参平氏の開いた伊万里焼やその後の有田焼の歴史美術品が展示してある。また、隣にある李参平氏が陶磁器のために切り開いた石切現場を視察した。この地は、過去400年間に渡り伊万里焼や有田焼の原料が掘り出された所。参加者も記念撮影をし、李参平氏が朝鮮半島から連れてこられた思いを偲び追悼した。その後、有田陶磁器市を見学しそれぞれが気に入った有田焼の日用品を買い求めていた。
その後一行は、嬉野温泉へと向かった。嬉野温泉グランド鳳陽では朴明盛平和統一聯合中央本部会長の講話があり、参加者に平和統一聯合の歴史と文鮮明総裁の世界的業績や自叙伝を紹介された。朴会長は講話の中で「文鮮明総裁は在日の和合統一のみならず、韓半島の南北統一を強く念願しておられます。また文総裁は戦時中日本留学生として在日の心情を理解され、韓国独立運動に邁進され愛国者として生きられました。」と話された。その後、一行は夕食に舌鼓を打ち、韓会長も参加されたカラオケ大会で楽しい時を過ごした。
【挨拶される韓会長】
翌5日、名護屋城跡を見学し、併せて佐賀県立名護屋城跡博物館も見学し、博物館の学芸員の方に朝鮮出兵当時の話や、その後の日韓交流史の話を伺った。名護屋城は豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵の際に拠点として使われ、広大で、当時は大きな町のようであったという。現在は、「つわものどもの夢の跡」といった感じで、城跡の痕跡しか残っていない。参加者で日本人の一人は、「過去の日韓歴史を正しく学び、今後は日韓が仲良くしなければいけないと思う」と話していた。
【名護屋城跡にて】
その後、観光バスは鎮西町の日韓トンネル調査斜坑現場に到着。国際ハイウェイ財団の大久保義孝 唐津所長に日韓トンネルの説明を伺った。大久保所長は「当時、文総裁の提唱で始まった日韓トンネルの海域調査も、60億かけて完成された貴重な内容が評価されています。現在では調査不可能な場所となっています。また、日韓トンネルが実現すると日本にとっても莫大な経済効果を生み出すでしょう」と話していた。
【日韓トンネルの説明を伺う】
【トンネル調査斜坑現場前にて記念撮影】
その後、一行は日韓トンネル斜坑現場を歩いて見学、最深部で記念撮影をして、斜坑現場の土をおのおのが記念に持ち帰った。11連合会の尹致重事務局長は、取った石を白頭山ツアーに持って行き、日韓トンネルの実現と南北統一を祈願すると言う。
【トンネル調査斜坑 最深部】
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