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2014年11月 アーカイブ

2014年11月24日

【東京】紅葉狩りと歴史探訪ハイキングレポート

ハイキング

 西東京支部では、11月24日晴天にも恵まれ、かつて日本に渡来した高句麗人が開拓した高麗郡(現在の埼玉県日高市、飯能市あたり)周辺を訪ねて「紅葉狩りと歴史探訪ハイキング」を開催。小中学生10人を含む、老若男女57人が参加した。

 コースは、西武線高麗駅から高麗石器時代住居跡を通り、聖天院、高麗神社を見学。昼食をとってからあいあい橋を渡って巾着田を通り、高麗駅に戻る計約10.5km のコース。

 初代の郡司でもあった高麗王若光の菩提を弔うために創建された勝楽寺(聖天院)では、住職の直々の説明を受け、本堂へのお参りとともに在日韓民族無縁仏の慰霊塔を訪ねた。塔が建つ広場の周囲にある壇君をはじめ、広開土王、太宗武烈王、鄭夢周、王仁博士、申師任堂などの石像や3.1独立運動の集会が行われたバコダ公園の象徴的な建物である八角亭を縮小した建物を見学。その若光を御祭
神とする高麗神社でも職員の丁寧な解説を聞くことができた。

 昼食後は、かつて高句麗人たちが当時の大陸の先進灌漑技術を駆使して開墾したといわれる巾着田を通った。思い思いに参加した一人一人が1300年前の太古の昔に思いをはせることの出来た有意義な一日だった。

記念撮影

 参加者からは、「日本と韓国の関係を示すこんな場所があったとは。大変感激だった」「結構疲れたが天気にも恵まれ1300年前の昔の歴史に思いをはせることが出来て良かった」等の感想が寄せられた。

(西東京 木村)

【岡山】岡山県本部日韓トンネル国際ハイウェイを推進

全体記念撮影

 11月24日、全国で24番目となる「日韓トンネル・国際ハイウェイ推進岡山県民会議設立大会及び講演会」がメルパルク岡山で開催され、議員・有識者ら250人余りの世話人・賛同者が参加した。韓国日本大使館参事官、中近東アフリカ局長等を歴任した天江喜七郎氏が記念講演を務めた。
 開会と同時に国際ハイウェイプロジェクトとしての日韓トンネル構想を余すところなく表現した映像が上映され、終了後、主催者が「岡山県民会議の設立大会は、民族、人種、宗教を超える事を目的とした国際ハイウェイ構想の一環である」と挨拶した。続いて、大塚正尚日韓トンネル推進全国会議事務局長が経過報告と共に、今回の大会が47都道府県の過半数の峠を越えた事の喜びを強調した。

天江喜七郎氏


 続いて、天江氏は「東アジアの心を繋ぐ・日韓トンネル」のテーマで冒頭に「東アジアの状況の変化」と題して、パワーポイントを使用し、過去からのアジア全体の歴史を俯瞰しつつ、①現在の中国の夢 ②米国のアジアシフトの限界 ③ロシアの対中国への接近等から歴史を前提とした世界平和高速道路の一環として建設中の「日韓トンネル」に対する期待を表明した。
 そして日本の取るべき道として、周辺諸国への外交的措置が重要であり、なかでも対韓政策は正しくあるべきと述べた上で、日韓トンネルの存在を次のように語り、締め括りの言葉とした。

①日韓間の人的物流の飛躍拡大
②日本と韓国の直結によりユーラシア大陸をも直結
③日本の国際化を最大限に推進
④東アジア共同体の基盤を提供
⑤東アジアの平和と繁栄に寄与

 今回の大会では、全国で初めて「国際ハイウェイ推進」という名称が付いている点が特徴的だが、この名称付与については、平和統一聯合岡山県本部が後援する立場から、将来の南北自由往来や中国本土との深い縁のある県であることなどを考慮し、県民会議に国際ハイウェイの名称を付けることを訴え続けてきた結果だ。また代表世話人や幹事長、閉会の挨拶をされた主だった議員の方々が、平和統一聯合の活動を通じての出会いであり、他の都道府県と違った特徴と言える。さらには、民団系の中でかつて対立関係にあった中心人物も参加した。
 文鮮明総裁の自叙伝を既に読んでもらっていたその中の一人の元団長からは、日韓トンネル・国際ハイウェイ構想に対して、「かつて100 年前(明治時代)に瀬戸大橋を構想した人物がいたが、その夢が100年後に実現した。この日韓トンネル・国際ハイウェイ構想も素晴らしい人類の夢、希望であり、今の時代では必ず実現する」と励しの言葉があった。
 一方、日韓トンネル推進広島県民会議会長(三谷積福山市議会元議長)から紹介され参加したもう一人の民団役員は、熱心にメモを取り、感動した旨を述べた。後日、担当者が岡山の有力な在日の団体の送年会に招待された。
 また、かつて朝鮮学校の理事長も務めた方(平和統一聯合岡山県本部の結成記念大会で毎回賛助広告を協力)は、世話人も快く承諾され、大会後の茶話会にも、多忙な中最後まで参加し、慰労と激励の言葉を残して会場を後にされた。
 岡山県の小泉政幸事務局長は「今回の県民会議結成に向けて在日の方々に出会う中、文総裁がその実現を強く訴えられた日韓トンネル・国際ハイウェイの運動は、非常に大きな力になる」とコメントしている

2014年11月29日

【石川】尾小屋鉱山 歴史探索ツアー

記念写真


 日本でも有数の銅山として約80年(金山として採掘が始められてからは約300年)に亘り、人々の営みと共にあった尾小屋鉱山(石川県小松市)で、第7連合会の天池会主催により11月29日歴史探索ツアーが行われ、15人が参加した。かつて、小松市内から尾小屋鉱山までは鉄道が敷かれ、全国から多くの人が働きに来ていた。お店、旅館、風呂、学校など小松市の経済を支えていた地であったが、今は面影がなく、一面、木々が生い茂り、所々民家がある程度だ。今回のツアーでは、当時の様子を今に伝える資料館とその裏に採掘の状況を説明する坑道の2箇所を巡った。

 資料館では、鉱石や採掘するために使った道具、鉱山の歴史などの説明があった。その後、坑道に場所を移し、当時の様子を伺った。坑道は約600mあり、前半は明治頃の採掘を再現した鉱山歴史ゾーン、後半は戦後の昭和の採掘を再現した近代鉱山ゾーンとなっている。参加者たちは、当時の様子を聞き、採掘の大変さを感じとっていた。
 また、尾小屋で生まれ16歳までそこで育った在日コリアンの山本幸子さんから、当時の生活状況など興味深い話しを伺った。山本さんは「自分は年に2~3回、尾小屋に足を運びます。なぜなら、そこは懐かしい故郷だからです。見るもの全て懐かしさが込み上げてきます。だから写真を撮り、遠くにいる兄妹達に毎年送ってあげている」と語った。
 この地に特別な思いを持つ山本さんだが、資料館には一度も足を踏み入れたことがないという。山本さんは「命の危険が伴う仕事や厳しい仕事は、在日朝鮮人、韓国人の人たちがやってきたのです。しかし、そのことは今の尾小屋鉱山の歴史や資料、そして説明の中にも、その内容について一言も触れていません。ですから、その資料館の中に入る気持ちになれないんだ」と苦しそうに話した。
 銅を採掘するために坑道を掘るが、地下坑道は総延長160kmもあり、最上部の坑道から最下部の坑道までの落差は700m、そして坑道同士を繋ぐ立坑も10ヶ所あり、地下から地上に銅の鉱石を運ぶ事は、大変な労働が強いられてきたことは想像しただけでもわかる。多くの犠牲が伴っただろう。上から岩が落ち、下敷きになって死んだ人、火薬の作業中に亡くなった人、堀り進むため石をトロッコに入れて外に運び出す途中、トロッコに轢かれ亡くなった人。
 尾小屋鉱山の歴史を今に伝えるために小松市も、歴史編纂事業に取り組んでいるという。影に隠れて表に出てこない尾小屋鉱山採掘の土台を作った在日韓国・朝鮮人の霊を慰めるためにも、歩んで来られた足跡を明らかにしなければいけない。彼らの人に言えない労苦の数々を私たちは知って理解しなければいけない。

(7連合会・石川県事務局長 毛利)

【福岡】第8回福岡南北統一セミナー開催

セミナー


 福岡支部では、11月29日、第8回目となる福岡南北統一セミナーを午前と午後の部に分かれ開催。
 午前の部では、林吉植第12 連合会会長による「日本における南北統一摂理」の講義と、楢原玲氏による「過去から未来の日韓トンネル」 の講義、そして文源澤第12 連合会事務局長が平和統一聯合の案内を務めた。林会長は講義の中で特に、在日にかけられた日本の使命を訴えた。
 午後の部では、韓国の釜山女子大学で教鞭をとられたこともある唐津・名護屋城博物館の廣瀬雄一先生による特別講義が行われた。廣瀬講師は「秀吉から近代に至る日韓交流の歴史」と題し、古代から、中世、近代に至る日韓両国の政治・経済・主権・文化など多岐に渡る観点から語られた。廣瀬講師によれば、「もともと日本人は人類学の研究結果によれば半島からの渡来人、帰化人の末裔が8割近くにのぼり、日本の国家形成に半島の影響が大きく働いた」とし、「歴史を学ぶのではなく、歴史から教訓として学び、未来に生かすことが大切だ」と述べた。
 講義後の質疑応答では、活発な質問や意見があり、参加者たちは、日韓関係史について深く学び、有意義な時間を共有することができた。
(12連合会・福岡県事務局長 楢原 玲)

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