韓国語で学ぶことを「工夫・コンブ」というが、ある時、その漢字語が「工夫」という文字だというのを発見したことがあった。日本では、良く学ぶことを「勉強をする」いう言葉を使うが、どうも漢字の言葉に「強」の字が入っているせいか、多少無理しなければならないように感じる。「工夫・コンブ」には努力も必要だけど、「くふう」という読み方から、発想が大切であるというイメージがあるような気がする。
丁度、映画「アマデウス」の登場人物であるサリエリとモーツアルトのような「秀才」と「天才」という感じにも似たような?気がした。
また、「知識」と「知恵」の言葉の違いも、知識は頭の中に積み上げていくもので、知恵はその知識よりもより閃きを大切にしているような気がする。そんなところが、「秀才」と「天才」の違いに通じるようなことを思いながら、人間には努力して才能を伸ばす秀才タイプと努力しなくても出来てしまう天才的才能の持ち主もいる事を思うと、「勉強」の言葉を使う日本人は研究熱心な秀才型?それに対して「工夫」を使う韓国人は発想豊かな天才型?ではないかと思ってしまうのですが、これはあくまでも個人的な見解です。