黄七福自叙伝70
「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」
第5章 在日同胞の将来を考えつつ
指揮権発動ということ
指揮権発動ということで、日本に住む私たちが思い起こすのは、一九五四年(昭和二十九)の造船疑獄事件だ。
この事件は、飯野海運が中心となって、政界・官界に三億円近くのカネをばら撒き七十一人の逮捕者を出した贈収賄事件である。
当時自由党の佐藤栄作幹事長らもからみ、東京地検が佐藤の逮捕を請求したが、犬養健法相が指揮権発動で、佐藤の逮捕見送りを指示し、事件はうやむやとなった。
敗戦後の日本政治史の一大汚点とされている。
韓国でも最近、指揮権が発動され、大きな物議をかもしている。
日本での指揮権発動は、経済問題に関するものだったが、韓国では祖国分断の悲劇を如実にあらわす実に政治的な問題での指揮権発動であった。
法務部長官の千正培が二〇〇五年に、検察総長の金鐘彬に対し「姜禎求に対する国家保安法違反事件関連捜査指揮書」を送り、姜禎求に対する検察の拘束捜査意見を差し戻し、「在宅捜査せよ」と指揮権を発動した。
千長官の指揮権発動は、「拘束捜査」の立場をとる検察・警察に対抗し、 「在宅捜査」や「処罰不可」と主張してきた青瓦台(大統領官邸)やヨルリン・ウリ党の立場を反映したものであるという点である。
姜禎求は、「韓国戦争は統一戦争」「マッカーサー将軍は統一の敵」と発言し、国家保安違反容疑で警察の捜査を受けていた。
千長官が”人権蹂躙”ということで指揮権を発動して逮捕を停止したわけで、国家保安法がザル法になってしまい、あってなきがごとくになっている。
同族相争の悲惨な体験をした国民は、そのような発言に武装ゲリラの残忍性を感じ取り、盧武鉉政権はそういう方向にいっていると、国民が危機感を感じ、支持できないと感じている。
その後の裁判で、執行猶予となったが、ソウル中央地裁は、刺激的な方法で国の存立と安全に害を及ぼす可能性もある扇動的な表現を使ったことに対し、厳しい司法判断が必要との見方を示した。
ただ、「有罪宣告でも被告が不利益を被るなど処罰の象徴性を考慮し、実刑宣告はしなかった」と、執行猶予を宣告した背景について説明した。
姜禎求の危険な発言
二〇〇一年の「八・一五平壌統一祝典」に参加し、万景台芳名録に「万景台精神を受け継いで統一を成し遂げよう」という内容の文を書いて拘束されたことがある東国大学教授の姜禎求が、二〇〇五年七月にはまたもや、インターネットメディアに「マッカーサーをご存知か?」というコラムで
「当時、外国軍がいなかったので身内の戦いであり、すなわち後三国時代の甄萱と弓裔、王建らがすべて三韓統一の大義のために互いに戦争をしたように、北朝鮮の指導部が試みた統一戦争だ。韓国の歴史の本のどれを見ても王建や甄萱を侵略者として誹謗することはなく、むしろ王建を統一大業を成し遂げた偉大な王として推仰している」
「身内の戦いの統一内戦に外勢の米国が三日介入しなかったならば、戦争は一カ月以内で終わったはずであり、もちろんわれわれが実際に体験したそのような殺傷や破壊という悲劇はなかっただろう。
まさに米国という存在は、報恩論とは正反対で、われわれに悲劇と束縛、戦争、六月戦争危機説とともに現在まで続く韓半島戦争危機を作り出した主犯だ。
ごく少数の人名殺傷に終わった六・二五拡大内戦で、あれだけの殺傷と破壊が米国のせいで起きたことを考えると米国は生命の恩人でなく、生命を奪っていった敵」と主張した。
二〇〇六年六月にも京畿道水原市で行われた京畿民主言論市民運動連合主催の言論教室で「韓国言論について語る」というテーマの講演を行い、中国軍の介入について、
「中国は米国の仁川上陸作戦以降”北進の際は介入する”と重ねて声明を発表していた。中国からすれば、仮想敵国が平壌まで攻めてきたため、家を守るという自己防衛の概念で戦争に介入したもの」
と主張した。
姜禎求は、「韓国戦争は北朝鮮指導部が試みた統一戦争」などの文章を複数のメディアに掲載したため、国家保安法違反で二〇〇六年五月二十六日、ソウル中央地方裁判所から懲役二年(執行猶予三年)が宣告され、東国大学からは職位を解除されている。