黄七福自叙伝68
「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」
第5章 在日同胞の将来を考えつつ
盧泰愚大統領のこと
全斗煥の後継者は張世東と目されていた。が、住んでいるのは全羅道だったが、北から来た人という噂もあった。
だから、慶北出身の将軍たちがみな命がけで抗議したということで、そのため、盧泰愚が後継者に指名されたということだった。
全斗煥政権は中央情報部を拡大、再編して国家安全企画部を創設し、張世東は一九八五~八七年に部長を務めた。
全斗煥は、部下を怒るときは目玉から火が出るほど怒るが、部下が困ったときは、自分の命をかけて助けるという性格で、人気があったと聞いている。
そうした全斗煥の性格と盧泰愚の性格は天と地ほどの差があるといわれていた。
一九八七年に全斗煥の退任に伴って行われた第十三代大統領選挙で、盧泰愚は、金泳三と金大中を破り当選した。
盧泰愚が訪日したとき、宮中晩餐会で、朝鮮通信使接待の雨森芳洲を引き合いに出して、韓日親善のあり方を説き、感銘を与えた。
その帰路、大阪に寄って民団本部を訪問したいという話が持ち上がった。しかし、日本の警察が警備に万全を期せないということで難色を示した。
民団本部の横には中崎寮があって、その住民には朝総連関係の同胞も多い。工作員が二階に潜んでいるかもわからないし、テロを決行するかわからない。
となれば、それら部屋を一つひとつ見張らなければならないから、安全が保障できないということだった。
そこで、私が本国に飛び、そうした事情を説明した。で、大阪空港で在日同胞と会うことになった。
金泳三大統領のこと
一九九〇年に、盧泰愚の民主正義党、金鍾泌の新民主共和党、金泳三の統一民主党が合同し、 巨大与党である民主自由党が誕生した。
この後、金泳三は民主自由党の大統領候補となり、一九九三年の第十四代大統領選挙で当選した。
金泳三の反政府活動は、民主化のシンボルとして華々しく評価されていただけに、世の中の雰囲気が変わってしまったような感じだった。
その一つが、何かの晩餐会のとき、「民団は政府にばかり協力した」と言ったことで、民団の役員にしてみれば、耳の痛い発言だった。
金泳三政権になってしばらくすると、「金賢哲の意に逆らうと大臣になれない」という噂がたった。
金賢哲は金泳三の次男で、「韓宝グループの鄭泰守総会長から六百億ウォンが金泳三陣営に流れた」などの疑惑で最高検察庁に逮捕されたのである。
金泳三は「在任中は一切、企業からカネを受けとらない」と言っていたが、彼の代わりに息子の逮捕という前代未聞の事態が発生したのである。