私は、時々仕事で韓日間の通訳をするのですが、一般的に通訳は「異なる言語を話す人の間に立って双方の言葉を翻訳して伝達する」仕事なので、いわば両国の橋渡しをする仕事だと思います。
実は先日、日・ロの通訳者であった故米原真理さんの書いた「不実の美女か貞淑な醜女か」という本の中に、「消極的知識」と「積極的知識」という言葉があり、正直、初めて耳にする言葉でしたが、妙に納得したのです。
それは、「積極的知識は決して消極的知識を越える事が出来ない」ということ。最初一瞬理解が出来なかったのですが、漢字の例で言うと、自分の関心のある漢字(積極的)はいつでも自由に読み書き話せるが、普段何気なく目にしたり耳にしたりする漢字(消極的)は、いざそれを読んで書こうとしたら出来ないというのです。
そのように私たちは皆、そんな消極的知識に囲まれているので努力せずとも、視覚、聴覚を通して様々な情報や知識は入って来ますが、自分が関心の無いものは覚えようとしない。反対に関心のあるものは積極的に覚えようとする。通訳の場合は、「両方の言語の間を絶え間なく往復する為、その両方の言語で消極的語彙と積極的語彙を努力して縮めるしかない」とあった。
それは夫婦間や様々な国の距離を縮め為に、通訳のような努力が必要なのだと思う。お互いもっと「消極的知識」から「積極的知識」にその間を縮めて行く事が大切ではないかと思います。