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「若者は幻を見、老人は夢を見る」と「ただ一撃」

 新約聖書の使徒行伝に、「若者は幻を見、老人は夢を見る」という言葉があり、長い間、気になっていた。

 というのは、これは世の終わりに現れる現象とされているからである。

 もし、そうした現象が起これば、世の終わり、一種のノストラダムスの予言のようなものになるのだろうか、と思っていた。

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セザール・ド・ノートルダムEnglish Wikipedia. Uploaded there by en:User:Sasha I, 14:24, 9 August 2006, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

この言葉を見るかぎり、かなり世界が不思議な出来事や事件が起きるとこととなるが、今はそのような現象が起きているのだろうか。

 しかし、現実においては、様々な戦争や紛争、社会的な事件が起こっているものの、「若者が幻を見」たというのは、あまり聞いたことがない。

 ただ、「老人は夢を見る」というのは、少なくとも私には当てはまっている。

 私は毎日のように夢を見ているが、目が覚めた時には忘れている。

 いや、忘れようと思ってきたせいか、鮮明な記憶に残っている夢以外は残らない。

 かつては、一時、夢には予言的な未来への示唆みたいなものがあるかもしれないと思っていた時期もあってメモを取ったが、後で見返してみて支離滅裂だったのであきらめた。

 支離滅裂というのは、意味不明ということよりも夢という時空での出来事は飛躍が次々に起こるので目が覚めた意識では理解できないからである。

 この夢を毎日近く見るというのは、高齢者となった私など一部の人間だけが見るのか、それとも老人世代では当たり前の症状なのだろうか。

 そのあたりはよくわからない。

 ただ、「老人は夢を見る」ということでは、思い出す小説がある。

 それは藤沢周平の時代小説の短編「ただ一撃」である。

 この小説は、北国の庄内藩に仕官目当てにやってきた剣術自慢の武士が、家臣との勝負にことごとく打ち勝ち、だれも相手になる者がいなかった。

 本来ならば、これほどの腕前ならば、仕官は問題にはならないが、ただ殿様の方は、この武士を気に入らず、だれか勝てる者を選び、打ち果たせと命ずる。

 そこで誰かいい候補者がいないかと重臣が頭を悩ませていると、一人がかつて剣術の腕で家臣となった者を思い出した。

 ただ、この元武芸者は、今は隠居の身で義理の嫁に身辺を世話してもらうほど、衰えていた。

 耳が遠くなり、記憶もアイマイで認知症気味で、ふだん鼻水を垂らしているほど。

 とうてい剣を持つことさえ、難しいと思われたが、ほかにいい候補者がいないので、重臣たちが半ばあきらめて依頼した。

 このやや認知症気味の老人は、重臣の依頼を受けて、かつての技量と勘を取り戻すために山にこもり獣のような修行をする。

 やがて、山には何か獣のような天狗がいるとのうわさが立ち、老人は山から老人が降りて来る。

 そのときは、獣のような姿だった。

 この老人は仕官を望む武芸者と立ち合い、見事に「ただ一撃」で打ち倒す。

 だが、試合が終わり、前のような日常が戻ってくると、ふたたび認知症的なただの老人に戻り、しかも症状が以前よりも重くなっている。

 呼んでも聞こえないような、夢と現実を行き来しているような老人のビフォアアフターに、その落差に私は感銘を受けたのだった。

 とはいえ、老人→獣→老人というプロセスには、老人という世代の陥っている症例を浮かび上がらせリアリティーが感じられた。

 まさに「ただ一撃」は老人が夢を見るような短編小説だったのである。

 だとすると、「老人は夢を見る」聖書の言葉は一種の老化現象を意味するとも捉えられないこともない。

 だが、「若者は幻を見」るとはどういう現象だろうか。

 この言葉だけを切り取ってみると、資本主義社会の影の部分、ドラッグや麻薬に溺れている若者をほうふつとさせる。

 ドラッグにはまった若者は、幻を見て、時には精神の異常を来たし事件を起こすことがある。

 それならば、理解できないことはない。

 でも、そうしたことではないのではなかろうか。

 改めて聖書を読み返すと、前後の文章は次のようになっている。

 

「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」

 

 これを読むと、前提になっているのは、神が終わりの日に、「霊」をそそぐということである。

 「霊」というものについては論議があるだろうが、少なくとも人間の霊であることは間違いない。

 すると、神が新たに人間の霊を終末に創造して、若者や老人にそそぐということなのだろうか。

 そうではあるまい。

 過去の人々の霊が霊界から地上世界に降りて来るということだろう。

 そのような霊が若者に幻を見させ、老人に夢を見させるのだろう。

 その幻がどのようなものかはわからないが、心地よくさせるものばかりではないだろう。

 老人の夢も吉夢ばかりではなく、悪夢も多いのではないか。

 なぜか、私はそのような霊の降臨によって、今の世界が震撼しているような気がしている。

  (フリーライター・福嶋由紀夫)

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