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「見た」と「読んだ」の違いと「共感する傾聴」について

 

福ちゃんの福チュモニ(Season2)

「見た」と「読んだ」の違いと「共感する傾聴」について

 文章を「読む」ことと、話を「聞く」行為が同じではないかと思った事がある。

「七つの習慣」という本を最近読んでいるのだが、その中に「共感する傾聴」の大切さが書かれていた。それは人が話を聞くことは、「耳」が担当する分野だけと考えてはいけないし、読むという事も「目」の担当だけと考えてはならないという事なのかも知れない。ある文章を読んだとしても、実際はただ目で字面だけを追っていただけ・・それでは読んだ事にはならなのかもしれない。「傾聴」する事と同じく、文章の中にある著者の伝えたい「心の声」を読取(傾聴)らなくてはいけない。行間の中には伝えたい事が中々見えないものだ。

 しかし、それを読み解くことが字面をただ「見る」事では無く、本当の「読む」という事になるのだと思う。だから、共感する傾聴は、本を読む事にも通じることなのである。

 私は、仕事で韓国語の通訳を時々するのだが、その時に気を付けているのは、語る人が何を伝えたいのかという「心情」を正確に読み取って(傾聴)通訳したいと心がけている。そして、韓国語の実力も重要だが、日本人としての日本語の語彙の豊かさも重要で必要な事を痛切している。それで、改めて日本語を学び直したいと思い、「日本語の活かし方」(福嶋隆史著)という本を読んでいる。その感想はまた次回に書こうと思う。

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