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うさぎ、ウサギ、卯年のことなど

ウサギの置物

 今年は卯年、うさぎ年に当たる。

 うさぎはかつては自然界によく見られたが、今では野原で見かけることはあまりない。

 学校の飼育や農家、そして、ペットで買うというぐらいしか接点がないといっていい。

 実際、私自身もうさぎを直接見たりした経験はわずかしかない。

 もちろん、野原で見たわけでもなく、自分で飼っていたわけではなく、母方の実家で飼っているのを見たぐらいである。

 母方の実家は農業を営んでいたのだが、そのほか養蚕をし、ニワトリが放し飼いになっていた。

 猫もいて犬もいて走り回っていた。

 それらの動物に比べると、うさぎは小さな四角いゲージの網戸で飼われていて、動き回ることがほとんどできない環境で育てられていた。

 それで、うさぎはいつも網戸に顔をつけ、赤い目と口をモグモグ動かしていたことを覚えている。

 時々、網の隙間から野菜などを与えて食べる様子を観察したりしたが、じきに飽きてしまった。

 ただゲージの中でじっとしているうさぎは面白味がなかったからである。

 狭いところで生活しなければならないことはかわいそうとは思ったもののじきに忘れてしまった。

 それよりも、山や川の付近にある林へ行って、カブトムシやクワガタムシを捕まえる方が楽しかったこともある。

 最近は、ユーチューブなどで、室内に猫や犬のように放し飼いをしている動画を見かけることがあって驚いているほど。

 うさぎを言えば、思い出すことは出雲神話で大国主命(おおくにぬしのみこと)に助けられたシーンである。

 狡知なうさぎが海を渡るためにサメをだました有名な話だ。

 海を渡るためにサメを橋にして途中までうまくいったが、うさぎは最後に自分の悪知恵に酔って、種明かしをしてしまい、サメに逆襲されてしまう。

 そして、全身の毛をむしり取られてしまったうさぎが泣いていると、そこを通りがかった大国主命によって救われるという因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の話である。

 私の世代では、学校で学んだというよりも、絵本や民話などでいつのまにか知っていたという気がする。

 よく知られた話だが、今の子どもたちはどうだろうか。

 この神話では、大国主命の慈悲にあふれた精神を示す物語だが、なぜこのような話が生まれたのだろうか。

 うさぎが何かの象徴だったのか。

 というのも、うさぎが海を渡るというのは、ただの物語の舞台設定としては少しばかり突飛なので、そこに実際の出来事が反映しているのではないか、という気がしている。

 神話に実際の出来事が反映しているのは、シュリーマンがギリシア神話のトロイの木馬などの話からヒントを得て、実際にトロイ遺跡を発見したことからも、理解できることである。

 なぜうさぎが海を渡ったのか。

 うさぎを動物ではなく、人間のことを仮託しているとすれば、どこからか海を渡って出雲地方に渡って来た人々と重なる。

 うさぎは海を泳げないから、海に住むサメの助けを得なければならない。

 サメは海を船で往来していた海洋民族と考えてもいいだろう。

 とすれば、朝鮮半島などから渡来した人々の物語ということになるかもしれない。

 現在も、戦乱などを避けてボートピープルの難民が危険な海を渡ろうとし、途中海賊に襲われてしまう悲劇はよく知られた話である。

 海を渡るにも、それだけの代価を支払わなければ船を調達できない。

 しかも、乗せてくれたとしても、その船頭自身が途中で豹変して海賊となってしまう可能性もある。

 そうしたことを考えると、この因幡の白兎の神話は、実にリアルな話のように感じられるのである。

 その上、毛をむしられたうさぎが苦しんでいると、最初は大国主命の兄弟たちが、だまして潮水につければ治るというウソを教えてしまう。

 傷に塩分をすりこめば激痛を発し、余計痛みが増してしまう。

 この大国主命の兄弟たちは、まさに地元の人々が見知らぬ異邦人を排斥する態度をほうふつとさせるものがある。

 移民して来たとしても、荒地を開拓する以上に大変なのが、地元のネイティブな人々との共生である。

 言葉も違い、生活習慣、文化も違えば、なかなか仲間として受け入れるのが難しい。

 そのようなカルチャーショックなどを象徴している気がする物語である。

 だが、そのような排斥的なイジメに対して、大国主命は正しい治療法を教え、移民のうさぎを助けてくれる。

 まさに、大国主命は異民族との共生を示唆した存在であるということができるだろう。

 そして、助けられたうさぎも、その恩に対して、恩返しをする。

 それが大国主命の兄弟たちが美しいヤガミヒメ求婚しても拒絶していたのだが、うさぎは求婚が成就する方法を大国主命に教えて助ける。

 めでたく大国主命は求婚に成功するのだが、これはまさにうさぎに象徴される知恵、あるいは技術が大国主命の部族を支えて国土開発の成功をもたらした、とも言える内容である。

 美しい姫神をめとるというのは、その女神に象徴される部族国家を意味している気がする。

 求婚の成就は同盟などによる国の拡大発展ということもできる。

 大国主命という名前自体、日本の国家神であるというような称号を感じさせるものがある。

 この大国主命は、それを示すように多数の異名をもっている。

 オオナムチ、ヤチホコノカミ、オオクニタマなど多数の別名を持っていることは、多くの部族の神を仲間とした、あるいは征服したということである。

 そのことを考えれば、うさぎに象徴される渡来人との共生が大国主命の日本国土開発に大きな寄与をしたということでもあるだろう。

 うさぎは、その性質からも多産で多幸を意味するから、今年は、平和を生み出す共生共栄時代を予感させるものがあると言ったら妄想だろうか。

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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