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この時期だけの餅の話

 餅切るや又霰来し外の音    

西山 泊雲

 餅を搗く次第に調子づいて来し 

高浜 年尾

 街を歩いていると、一時見かけなくなったマスク姿の人が増えている。

 コロナ禍のときは珍しくなかったが、今回はインフルエンザの予防のためだろう。

 といっても、大部分の人はマスクをしていないので、うつされないようにマスクで予防することは最低限必要な処置だろう。

 ときどき、咳をする人にも遭遇するが、これがインフルエンザなのか、花粉症対策なのか、判断がつかないのが不安である。

 そんな街の風景とともに気になるのが、コメの値段の高騰と餅のことである。

 コメの高騰には、主婦などの話を聞くと、音を上げるほどだが、それに加えてコメ関係の食材も高騰している。

 節分でおなじみの恵方巻も値上がりし、この原稿を書いている時期ではちょっと買うのをためらうという話も聞く。

 その意味では、コメとともに餅も手に入れがたくなった。

 田舎に住んでいた昔には、餅は大量にあって、むしろ飽きてしまい「また餅か」とヘキエキしたことを思い出す。

 というのも、餅は母方と父方、両方の実家が農業をやっていたので、両方から送られて来るのである。

 そんな大量な餅は家族5人では到底食べきれないので、いつの間にか青かびや赤かびが吹き出ていたほど。

 その部分を包丁などでこそぎ落としながら焼いて食べたが、かなり味が落ちていて、それで餅を敬遠する原因にもなっている。

 田舎では年末になると、一家総出で、近所の人も加わって餅つきの行事がイベント的に行われていた。

 大きな臼を広々とした土間に置いて、一家の主人が杵をもって「よいしょ」という声をかけながら炊きたての湯気が昇る餅をついていた光景は、今でも懐かしい思い出となっている。

 そのときのつきたての餅はおいしかったが、それでも餡子をつけても醤油で焼いて食べ続けていると、すぐに腹がふくれてもう何個も食べられなくなったものである。

 コメや餅はそれほど両親の実家からもらうのが当たり前のものだった。

 ところが、最近のコメの高騰で、コメのみならず、餅も食べられなくなってきた。

 両親の実家も、高齢化などもあって、コメ作りを止めるようになったこともある。

 送りたくても送れないという事情だった。

 稲作はかなりの重労働なので、若い世代に後継者がいないと、続けていくことが難しくなっている。

 その点では、コメ作りを止めたことで、餅つきも止め、ほかの農家から融通してもらったりしているそうだ。

 そんな事情なので、わが家では餅はなかなか食べられないものとなったのである。

 私が東京に住むようになってからは、両親が餅を送ってくれるようになったが、それも近所のスーパーなどから買ったパックのものを送ってくれたものだった。

 その両親が亡くなってしまうと、もう自分で買うしかなくなった。

 それで、少数の餅を買って食べる正月となってしまい、ここ数年はというと餅はあまり食べられない状況だった。

 しかも、コメの高騰である。

 日本の正月には、餅が欠かせない。

 なぜこの年末に餅つきをし、正月に食べるようになったのか。

 そのあたりの背景には、宗教的な風習や風俗、意味合いがあるのだろうが、もう一つは1年の苦労をねぎらい、祝うということもあるだろう。

 また、休みなく家族のために食事をつくり、掃除し、洗濯をしてくれる主婦、女性たちの慰労と休暇ということもある。

 この時期に作られるおせち料理も、食事の準備をしないで済むようにこしらえるものであるが、今ではそんな性質も忘れられ、贅沢なものになっている。

 おせち料理と聞くと、テレビのCMでやっている何段も重ねられた重箱の豪華なものがまず思い浮かべてしまう。

 昔はおせち料理を母が作ってくれたものだが、それもCMにあるようなものではなく、量も飾りも適当だったが、それでも正月らしい雰囲気を演出してくれた。

 それこそご飯よりも、餅と餅の攻撃なので、おせち料理と餅のパターンには飽き飽きしてしまったことを覚えている。

 しかも、子供時代は甘いものが好みだったので、きんとんなどを真っ先に食べつくして、怒られたことも思い出す。

 そのほかのかまぼこなどはのぞいていた(昔は好きではなかった)。

 だが、正月というものは、そんなゆるやかな非日常がなんとも言えないムードが悪くないと今では思う。

 そんな日々がもう遠い風景になってしまったので、なんだか懐かしく愛おしい気持ちになるのである。

 今では、餅はかびないように一個ずつ個装していて、いかにも高級品のようなイメージとなっていて、ちょっと田舎育ちの人間にとっては寂しい気がする。

 たかが餅、されど餅。

 書いているうちに餅を食べたくなったのは、この寂しさのせいかもしれない。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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