普段からマスクもして、気をつけてはいたが、よもや身近に陽性の方が出現すると、流石に狼狽し、「自分もPCR検査に行かねば」と思ったが、何せ嫌われ者扱いへの新型コロナウイルス。下手すれば社会信用も失墜するやも知れないので、三日間鳴りを潜めて近くのクリニック発熱外来を訪ねた。担当医いわく「紹介状を書くので、そちらで正式に検査して下さい」と保健所にも、そこで手配された。
次の日の午前、佼成病院を訪れ、鼻から検体採取。夕方に結果が出るので、自宅待機を命ぜられる。かくして、5時頃携帯に着信。「陽性です。直ぐに入院手続きをするので、明日自宅に迎えが行きます。決して出歩かないで下さい」とマスク着用、手洗い厳守を言い渡され、一夜を明かした。
明くる日、9時半にアパート前に白いワゴンで迎えの方が来て乗り込む。歩いても10分もかからない近所なので、車は一方通行やら対向車とすれ違いに、予想以上時間ロス。歩いた方が早いと心で思ったが、口には出さなかった。ドライバーを気まずくしたくはなくて。20分は要したろう。病院の地下駐車場に滑り込んだ車の横に看護士が防護服で車イスを用意して待っていた。折しも10月の晩秋、雨が降る肌寒い日でもあり、地下駐車場に降りた空気はひんやりとして、心が沈む感じがした。さて、ここで何日過ごすか? 陰性になるまで、気が抜けない。関係者にも連絡は入れた。あとは万端やってくれるだろうと信じた。後で聞いた話だが、「濃厚接触になる!」と少し声の大きい人がいたようである。さもありなん。事が事だけに、やむを得ない。しかし、自身は発熱から3日経っており、意識も鮮明なのだ。ただ、少し声が出づらい。かすれがちになる。鼻水と痰もでる。免疫機能がフルスロットルで対抗してくれていると思い、感謝した。
さて、迎えに来た看護士2人はさかんに車イスを勧めてくれるのだが、「歩くので」と断った。スタスタと病院内に足を進めると業務用エレベーターで9Fへ。隔離病棟のプレート。なる程、気圧調整の出来る施設と言うのが理解できる。全て個室扱い。部屋にはベッド、机、トイレ、血圧計、体温計、酸素濃度計、至れり尽くせり。朝食はパンを主に牛乳、ヨーグルト、野菜サラダ。昼食は肉・魚とか煮物を合わせ、時にうなぎも出た。
入院3日目で再度PCR検査。鼻から突っ込む検体採取が辛い。瞬間だが痛みも伴う。便は柔らかい。整腸剤を食前に服用。頭痛にアセトアミノフェン服用。時間を持て余して読書。しばし、携帯をいじる。寝付かれない。テレビは10時消灯である。こっそり音を低くして見た。これでは治療に来ているのか? バケーションではないかと勘違いしてしまう。
7日目に最初の陰性。医師と話して、10月17日に退院の運びに。当日は、また冷たい雨がしとしと。しかし、軽症で済んだのが、不幸中の幸いであった。重症化してエクモのお世話になったら、一人暮らしの先行きに暗雲が垂れ込めるだろう。私は陰ながら祈ってくれている人たちに感謝して、帰途に就いた。気を付けてはいたが、いざ我の事となると動転しやすいものだ。しばらくは抗体があるから大丈夫と思う。世界のコロナの終息を祈りつつ。