富士山は、今でこそ日本を代表する山であるが、いつからそう思われていたのだろうか。
それを考える上で、示唆的なものは、万葉集に詠まれた富士山の歌2首である。
一つは、万葉集を代表する歌人の1人、山部赤人の歌(巻の3)である。
良く知られているように、山部赤人は、叙景の達人であり、自然の風景を絵葉書のような美しさを表現した(伊藤博校注『万葉集』角川ソフィア文庫から)。
「天地(あめつち)の 分(わか)れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴(たふと)き 駿河(するが)なる 富士の高嶺(たかね)を 天(あま)の原(はら) 振(ふ)り放(さ)け見れば 渡る日の 影(かげ)も隠(かく)らひ 照る月の 光りも見えず 白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継(つ)ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
反歌
田子(たご)の浦ゆうち出(い)でて見れば真白(ましろ)にぞ富士の高嶺に雪は降りける」
これは、まさに富士山の姿の良さを風景描写したような叙景歌である。
今でもわれわれが持っている富士山のイメージそのままの姿であるといっていいだろう。
これに対して、別な視点から富士山を詠んだのが、伝説の歌人と言われる高橋虫麻呂である。
不思議なことに、山部赤人の歌に続いて掲示されているので、これは編纂者だったと言われている大伴家持の意図があるのだろう。
それほど同じ富士山を詠んでいながら、両者はまったく対照的である。
「なまよみの 甲斐(かい)の国 うち寄する 駿河(するが)の国と こちごちの 国のみ中(なか)ゆ 出(い)で立てる 富士の高嶺(たかね)は 天雲(あまくも)も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 燃(も)ゆる火(ひ)を 雪もち消(け)ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得(え)ず 名付(なづ)けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水たぎちぞ 日本(ひのもと)の 大和(やまと)の国の 鎮(しづ)めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽(あ)かぬかも
反歌
富士の嶺(ね)に降り置く雪は六月(みなつき)十五日(ち)に消(け)ぬればその夜(よ)降りけり
富士の嶺(ね)を高み畏(かしこ)み天雲(あまくも)い行きはばかりたなびくものを」
この虫麻呂の歌は、活火山だった富士山の不気味な側面、叙景では見えない神秘的なたたずまい、存在感を写し取っている。
虫麻呂が果たして富士山に登ったことがあるのかどうかはわからないが、少なくともそうした経験がないと詠めない描写であることは間違いない。
この2首の和歌を見ると、当時の人々にとって、富士山がどう見えていたのか、思われていたのかがうかがえる。
山部赤人は、富士山を遠景で見ていて、それを褒めているという印象だ。
いわば、旅人が風景を楽しんでいるといった感じである。
この山部の歌を見ると、富士山はその存在感から、見るべき名勝であるが、登るという対象ではないことがわかる。
逆に言うと、都会人、当時の文化・政治の中心だった都に住んでいた赤人は、合理的な精神から富士山を見ていたということができる。
富士山は長い間、山岳信仰の山で、女人禁制だった山だったが、そうした点は赤人の歌からはうかがうことができない。
その意味では、赤人は山に対する特別な思いがない、当時の中国の先進的な思想の影響を受けた知識人の姿が浮かび上がって来る。
当時の万葉集をリードした知識人は、中国の先進思想である儒教の影響を受けて、怪異なものや神秘的なものに対しては合理的な考えを持っていた。
儒教の孔子自体が、「怪力乱神を語らず」という姿勢を有していたことからも、幽霊や神々に対しては距離を置いていたことは間違いないだろう。
その点では、富士山の神秘性、山岳信仰や伝説などの世界がただよっている高橋虫麻呂の歌は、富士山が特別な山であったことを示している。
虫麻呂が先進的な思想よりは、古来からの神々や神霊的なものが生きていた伝統的な宗教を信じていたことが理解できる。
おそらく、古来から日本人の伝統的な富士山に対する見方は、山部赤人のようなものではなく、高橋虫麻呂のような伝承的、伝説的なものであったのではなかろうか。
そして、富士山は気軽に登る山ではなく、禁忌的で神聖な山ではなかったのか。
神聖な山というと、どこか神秘的なイメージがあるが、虫麻呂の歌を読むと、そんなものではなく、むしろ祟りなどを感じさせる恐ろしい山であったことがわかる。
飛ぶ鳥もあまりいない、人が隔絶した世界に存在する死の山、といったことを感じさせるのである。
このイメージは、虫麻呂の歌からだけではない。
たとえば、昔読んだ記憶では、よく知られている「竹取物語」でも、最後に富士山が象徴的に出てくる。
月の世界に帰ったかぐや姫が養ってくれた老夫婦に、あまり知られていないが、育ててくれた恩に報いるために「不死の薬」を最後に贈る話がある。
この薬を飲んで長生きしてほしいという意味である。
だが、老夫婦は、かぐや姫がいない地上に長く生きている甲斐はないと悲観して、富士山に登っていく。
そして、その山頂で、かぐや姫からもらった「不死の薬」を焼いてしまうのである。
その「不死の薬」を焼いた煙が立ち上り、富士山を「不死山」と呼ぶようになったとしている。
後に、「不死山」が「富士山」と読み替えられたのである。
いわば地名由来の神話的な説話だが、「不死」という表現などからも、富士山がただの美しい山ではなく、生と死の狭間に立つ特別な山であったことがわかるのである。
老夫婦がその後、どうなったのか、は覚えていないが、おそらく「死」の世界へ入っていったのだろう。
「竹取物語」は、こうした出会いと別れの物語であり、そして、地上の生活ははかないもので、月の世界に象徴された死の世界(霊界)こそ本当の世界であるという意味が隠されているといっていい。
富士山が日本の象徴的な山であるのは、そうした二面性を持っているからではないか、と私は考えている。
(フリーライター・福嶋由紀夫)