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世界から見た韓半島の南北統一への道と課題

大塚克己
2020年6月15日

「南北共同宣言20周年の記念日」にあたり

韓(朝鮮)半島分断

 韓国動乱(6.25戦争又は朝鮮戦争)は1950年に6月25日に北朝鮮が南の韓国を攻撃したところから始まったというのが定説である。犠牲者を出した家族や人々にとっては悲しい思い出の日であることだろう。あれから既に70年の歳月が流れた。更に、今年は2000年6月15日に「南北共同宣言」が大韓民国金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国金正日国防委員長の間で署名されてから20年の記念する年である。この南北統一への基本合意は世界を驚かせ、好意的に受け止められて平和統一への希望が膨らんだ。しかし、韓半島の緊張が緩和し、再統一へと向かっているという状況は未だ見えないのが現実である。

 さて、韓国動乱(叉は、朝鮮戦争)は、アメリカ(トルーマン)、共産中国(毛沢東)、ソビエト連邦(スターリン)を始めとした多くの国々が、それぞれの思惑で参戦・関与した。ヨーロッパに降りた鉄のカーテンが、東北アジアで激しい戦争となった。そのヨーロッパからもイギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグなどが兵力を送って参戦した。医療やその他の支援をしたヨーロッパの国々はデンマーク、イタリア、ノルウェー、スェーデン、スペインである。北朝鮮を支援したヨーロッパの国々はソビエト連邦、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ポーランド、ルーマニアなどである。世界から各陣営を支援した世界の国々を見ると、正に第三次世界大戦の様相を呈している。

困難な南北対話の道

 アメリカ軍は、太平洋戦争で日本に投下した四倍の爆弾(63万5千トン)を半島に投下した。従って南北を問わず韓(朝鮮)半島全体が破壊されも同様で、再建は極めて北でも南でも相当に困難であった。300万人とも言われる大量の人的損失は、その後の南北双方の復興の人的資産不足を生んだ。そして家族、氏族、民族、国家、世界が、別れて戦ったという悲劇が戦争を一層悲劇的なものとした。この戦争を通して、北朝鮮の故郷に戻れなくなった北朝鮮出身者は南の韓国に多い。そして今日まで、多くの指導者や学識者が統一の方案を提示してきたが、南北双方の考えの相違と周辺大国の思惑が複雑に絡み、韓半島の統一は議論することも困難なこととなった。南北双方が静かにテーブルについて対話をすることが、この70年間ほとんどなかったと言っても過言ではない。38度線で南北に分けられた韓半島は、世界の東西冷戦の象徴的場所となったのである。冷戦終了後もこの分断は解決の道を見つけられず、相互の軍事的緊張は未だ解けない。米朝首脳会談がベトナムのハノイで2018年6月12日に開催されたが、半島平和から東アジアの平和安定への進展を、過去二年間で見ることはできない。

世界の分断・統一の課題

 平和統一の夢が未だ実現はしていない理由は、見方や立場で大きく異なるが、少し視点を変えて、世界における分断・統一などの参考に、教訓を検討し、韓半島南北統一に投射してみることも価値があるのではないであろうか。そして、韓半島の平和統一の為に生涯をかけて尽くしてこられた平和統一聯合創設者の文鮮明総裁・韓鶴子総裁夫妻のビジョンを検討してみよう。

韓国:半島統一の三段階

 統一の第一段階であった「武力による南北の統一」は、1950年からの6.25動乱で実行に移されたが、余りにも犠牲が大きく半島は壊滅的被害を受けた。今後は、このような武力統一があってはならないことは言うまでもない。今日まで大きな紛争が発生しなかったことは、南北双方と周辺国の様々な努力の結果であろう。その後、競争(経済力や国政的認知等)により、勝者が敗者を吸収するという「競争統一」の時期が長く続いた。しかし、この方案もうまくいきそうにない。現在は、経済的には大韓民国が北朝鮮人民共和国を上回っているが、それで統一が簡単に為させるものではない。北朝鮮の人々やその為政者が、より豊かな生活を求めて、南の韓国にすり寄ってくることを期待することは、幻想的なことであることが経験上理解される。「人はパンのみで生きるにあらず」という聖書の言葉は北朝鮮でも通ずる。経済的豊かさだけが国家の目標にはなり得ないのである。韓国民より北朝鮮の人々の理念的結束は強く、これを甘く見ることができない。競争統一を超えた何か「新しい南北統一方案」が必要である。しかし、ではどうすしたら良いのかという質問に、簡単に返答することは容易ではない。

香港:一国二制度問題

 中国も分断国家である。香港が1997年7月1日に中国に返還された後は、一国二制度(返還後50年)を導入し、香港の特殊事情(高度に発達した自由経済と民主主義)を考慮して、ゆっくりと将来の完全統合に向かってきた。しかし現在、香港の民主主義と自由が失われようとしている雰囲気の中で、多くの若者は失望と閉塞感を感じている。そのような香港は、南北に統一の見本になるのであろうか。即ち、韓半島に一国二制度を取り入れ、極端に違う南北の制度をしばらく残して、一旦「統一」しようということである。統一国家になれば少なくても南北の「戦争状態」は解消されるのであろう。

 しかし、南北の統合に向かう道には問題が山積みである。例えば、韓国の社会保障制度や医療保険制度などの行政サービスを、北にも拡大するかということである。北の脆弱なインフラを整備して、韓国並みにすることも容易ではない。これらの実現する為には膨大な資金が必要となるが、どうするのであろうか。更に、人々の移動の自由が保証されれば、北の安い労働力が南に流れ込み、社会的問題となることは間違いがない。現在の香港を見ながら一国二制度の困難さを感じる。2000年の南北共同宣言には「南の連合制案と北側のゆるやかな段階での連邦制案が、互いに共通性があると認め」とあるが、細部に渡り検討すると、困難な問題が多くあることがわかる。

台湾:民族意識問題

 台湾は大陸の中国共産党政府と明確な一線を引き、反共路線を緩めないし、香港化することを断固拒否している。同じ中華民族であるという「民族の精神」は統一には役立たない。もともと中国は多民族・多文化国家であり、共通の敵が存在するか、国家の経済的発展で人民の生活が豊かになるか、強権政府の統治を実現するかで、国家の一体性を保つ以外には統一が難しい国である。台湾の歴史から、台湾人の大陸への思いも複雑で繊細なものがある。最近は特にそうだが、台湾でも香港でも、人々は「中国人」と呼ばれるより台湾人, 香港人と呼ばれることに心地よさを感じている。大陸中国との歴史と経済的・文化的相違が大きいので、台湾人の大陸への帰属意識は今後も薄れていくことは間違いない。更に、太平洋とインド洋に進出を進める中国に対して、台湾の戦略的地政学的価値は極めて大きい。中国と覇権争いをする限り、アメリカは台湾を手放すことはないと思われる。日本から、沖縄、台湾、そしてベトナムを結ぶラインは中国を封じ込める鎖の連結に見える。インド、オーストラリアを加え、「開かれた自由なインド・太平洋」構想は多くの支持を得るであろう。台湾はこの構想の要となる。

インド・パキスタン:宗教問題

 この地域の民族問題と対立も深刻である。分断と対立の起点は「宗教」であるといわれる。ヒンドゥー教とイスラムの対立は歴史が長い。これらの宗教的対立は、それを超える何か新しい理念がない限り、解消することは容易ではない。更にはそれぞれの過激派の存在は問題を一層混乱させる。第二次大戦後に植民地の独立機運が世界的に拡大し、インドも長年支配されて来た英国からの独立が実現したが、イスラムのヒンドゥー教地域から分離独立運動が拡大すると、宗主国イギリスは混乱を収集できなかった。暴動に発展した双方の対立が、1947年にパキスタン分離独立に際しインド全土に巻き起こった。「統一インド」を追求し、イスラムとヒンドゥー教の融合を求めたインド独立の父ガンディーは、イスラムに融和的で譲歩しすぎるとしてするヒンドゥー原理主義者により、翌年1948年1月30日に暗殺された。ヒンドゥーを犠牲にしてでもイスラムの為に尽くし、融合を実現しようとしたガンディーが許せなかったのである。更にインドでは貧富の差が激しく、対外的融和よりも対内的融和と和合が、長年にわたり叫ばれてきた。未だ良い結果もみることができない。民族対立に宗教対立が加わり、更に貧富の差(経済格差)までもがそこに加わると、双方の対立は深刻なものとなる。

中東:歴史的怨念問題

 中近東の複雑さは極まっている。先述した「民族と宗教間の歴史的対立」は幾多の悲劇を生み出して来た。中東の対立を見ていると「歴史的恨み」が如何に難しい問題であるかがわかる。そして「神から与えられた」といった原初の記憶に遡る「存在と所有の根拠」は対立を更に深刻化する。イスラエルとアラブは共に絶対者からの指示が思考の規定に流れているし、長年に渡る宗教間紛争は根深く人々の記憶に生きている。エルサレムに行ってみればユダヤ教徒とモスレムは共生し一緒に働いているという事実もあるが、国際的政治経済などの関わりで一時に平和が達成されても、人々の記憶の深いところに存在する「恨みの情念」が何かの切掛で爆発す様子を見ると、それらは簡単に溶けそうもない。この歴史的情念が現実の政治や外交を動かしていると言える。

西バルカン:強権統一の後の新たなる分断

 旧ユーゴスラビアが崩壊すると、内戦が勃発し1991年から1999まで続いた。強権の下に統一されていたバルカンの大国・ユーゴスラビアは、あっという間に分裂した。「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、7つの国境をもつ」といわれた国は、強権的政府の存在無くして統合維持は難しかった。国家のアイデンティティーより民族のそれが上回ったのである。更に、分裂だけではなく「民族浄化」の名目のもとに、多数の虐殺が発生し世界から非難された。一旦ついてしまった「虐殺」というイメージが西バルカン諸国を苦しめ、地域の不安定さをもたらしている。昨日までは同じ国民であり、共に仕事をし、言葉も同じなのに分裂し対立している姿は、日本人の理解を超えているかもしれない。それまでの統一と国家意識はなんであったのかと思わされる。ユーゴスラビア統一の中心であったセルビアは、今は周辺国家から、非妥協的問題国家のような評価を受けている。セルビアを支援したロシア、セルビアと戦ったコソボを支援したアメリカ、そして拡大する中国などの影が西バルカンには存在する。共産主義(理念)のもとにおける強権での統一は常に危うさを含んでいる。旧ソ連も同様の経験をしている。

ドイツ:再統一の基盤と教訓

 東西ドイツが統合されて30年以上が経過した。東西ドイツが統一された契機は東ドイツの崩壊であることは明確である。東ドイツの経済が低迷し、国民は生きていけない東ドイツを見限り、国家を捨てて国外(西ドイツ)に移動(逃亡)したのである。北朝鮮と違い、東ドイツには移動の自由が少なからず存在したことが幸いした。水が漏れるように人々が逃亡を始め、それが洪水となり国境という堤防を崩したのである。情報の国家管理(遮断)と移動の制限なしには封鎖国家は存立し得ない。東ドイツは情報と移動の封鎖を実現できなかった。そして、何よりも東西のドイツにはキリスト教という共通の文化的基盤が存在した。東ドイツを主導した共産主義、その理念が崩壊すると、人々にとって帰れるアイデンティティーはドイツ人としての過去の歴史であり宗教であったし、言語も同じであった。更には東西の経済格差が極端ではなかったことも幸運であった。そして何よりも、東西ドイツが戦争をした経験がなく、相互の恨みの感情も少ないものであったことは再統合の大きな助けとなった。西ドイツの経済発展が順調に推移したことが再統一を可能にした。西ドイツは統一のコストを負担できたのである。

イギリス:分離の連鎖

 イギリスが国論を両断する議論を経て、ヨーロッパ連合(EU)から2020年に47年間加盟していたEUから離脱した。英国の国論を両断した議論が巻き起こったことは記憶に新しい。ドイツ主導の現在のEUのあり方に反発しただけという識者もいるが、イギリスにとってもEUにとっても大きな出来事であった。イギリスは政治経済的連合としてのEUから離脱したが、元々通貨の統一を目指したユーロに加入してはいない。ヨーロッパからイギリスの旅行に行くと、両替が必要でなんと不便なことか!更にビザ免除のシェンゲン条約圏にもイギリスは加盟していなし。①EU、②通貨、③シェンゲンという具合に、ヨーロッパ統合のプラットホームがあるが、イギリスはこれらを拒否している。イギリス人としての「誇り」がそうさせるのか!イギリスがEUを離脱するとすぐにスコットランドの独立が話題になった。「強権による統合」を経験したスコットランドからすれば、独立をしたいところであろう。北アイルランド(プロテスタント)はアイルランド(カトリック)と接していながらイギリスの属する。いつの日か北アイルランドの帰属意識が高揚するかもしれない。歴史的に見ると複雑だ。イギリスがEUから離脱して、経済や貿易で「美味しいとこだけ」食べようとすれば、EU諸国からの猛反発を受けることは必定である。

以上を検討すると、韓半島統一のための多くの教訓を得ることができる。即ち、

  • 民族の同一性(アイデンティティー)の確保
  • 平和統一への周辺国から確約
  • 排外主義とならない自主統一への道
  • 過去の怨念かの克服と和解の進行
  • 経済的・産業技術の平準化
  • 統一のコスト負担
  • 統一への国民の意識と意思決定の自由度
  • 一国二制度を超える政治体制の創出
  • その他

南北再統一の課題

 以上から、韓半島の再統一を展望すると困難が多いことがわかる。韓半島統一は歴史的で世界的な統一・統合問題が全て集約されているような状態である。略述すると以下のようになる。

  • アイデンティティー(民族の同一性)をいかに共有できるであろうか。統合の為に、南北双方が戻れる民族の同一性の基点が、過去の歴史に存在するのであろうか?
  • 排他的でなく誇りある民族の同一性を確立することは「自主統一」にとって必須である。周辺諸国に不安を抱かせない「自主統一」を実現することには、相当の外交力が必要である。
  • 韓国動乱での殺戮は、今も人々の記憶に深く残っている。これらをかいしょうする道を求めなければならない。南北双方ともに、国内における過去の虐殺にも対応しなければならない。
  • 平和統一のためには武力の不使用を保証されなければならないが、周辺強大軍事国家の思惑を抑えなければならない。
  • 南北の経済的格差は深刻な問題を起こすであろう。北朝鮮の産業近代化と国民生活向上のための膨大な原資は、どこに求められるのであろうか。周辺諸国に支援を要請するのであろうか?
  • 再統一のコストに関しては、ドイツは「統一税」を長年徴取したが、国民は揃ってこれに応じた。韓国では統一税に関しては国民の反対が大きく、財政的準備ができてはいないという。統一を求めるなら、経済発展を遂げた韓国が統一のコストを準備しなければならないであろう。
  • 南北統一を求める国民の意識はどうであろうか。北は主体思想での統一を思い描くが、南の韓国にはそれがない。国民意識は分断されている。経済格差が拡大し、統一を求めない声も年々大きくなっている。韓国の経済発展が止まり、国民が自分の生活に困窮するとこの想いは強くなるようだ。北朝鮮の人々に言論と移動の自由はないことも統一への課題である。
  • 高麗連邦樹立構想や連合制などが北から南からも過去に提案されたが、実際上は相当な困難が伴うことは明らかだ。選挙制度をとるとすれば、南北の自由選挙も簡単ではないであろう。北は一人の大統領候補に投票するだろうが南の韓国はバラバラだ。自由民主主義的社会を全く理解も経験もしていない北朝鮮の人々にとっては、それらを体得するだけでも相当な時間が必要とされる。一国二制度を取れば南の財政で北の人々が生きるという構造になり、南の人々から不平不満が出てくることは必死である。おおよそ一カ国に違った二つの制度が共存するということは無理が多いのが歴史の教訓である。

文鮮明総裁・韓鶴子総裁の働き

 しかし、これらの問題を解決し、南北統一への動きを有効に機能させるための理念的土台を提唱したのが、平和統一聯合創設者の文鮮明総裁と韓鶴子総裁である。文鮮明総裁夫妻は、自らを強制収容所で殺害しようとして金日成主席に、1991年12月に会いに平壌まで行かれた。そして主体思想では南北の統一は無理であると直言したのである。エピソードが多くあるが、なんと言っても金日成主席と文鮮明師の会談での合意事項は、その後の北朝鮮の対南対応の基本となった。文鮮明師の南北統一に関する基本的発言は、おおよそ以下のように要約することができるであろう。

  • 主体思想でもなく経済主導主義でもなく、既存の宗教理念に軸足を置く理念でもない神主義・頭翼思想を基調とする統一が必要である。民族のアイデンティティーの高次元的確立が必要となっている。
  • 真の愛、即ち「相手のために生きる」という精神でなければ、統一までの困難を克服することが難しい。統一までの過程には多くの譲歩と忍耐が必要となる。従って「南は北のために、北は南のために生きる」という高度の精神性が必要となる。1987年5月15日の「南北統一運動国民連合」発会式で、文鮮明師が語られた講演は、南北平和統一のために韓国民が持つべき基本的姿勢について涙で講演されたものである。
  • 産業技術、経済力などの「平準化」を進め、南北のみならず世界から経済格差を解消し、共に生きる社会を実現しなければならない。科学技術は個人や特定の国の所有物ではなく、人類の共通の財産である。したがって、原子力も、人類のために平和目的のために利用されなければならない。
  • 積極的経済交流を推進することが、相互の和解を進める上で重要である。物の交流は交通インフラが必要であり、南北を繋ぐ道路・鉄道網などを拡張・実現することが統一を加速化することは間違いない。北朝鮮の交通インフラを整備することには相当の資金力が必要となる。
  • 世界の人間交流と物資の交流を促進するために、国際平和高速道路網(Peace Road Network)を構築する必要がある。
  • 真の愛による統一は国際結婚として結実する。南北の人々、そして韓国・日本の若者が国際結婚を推進することにより、南北の統一は一層加速化され、盤石なものとなる。世界の統一は個人では心身の統一、家庭では夫婦と親子の統一からはじまる。
  • 韓半島の統一は一民族の課題ではなく、アメリカ、日本、中国、ロシアの積極的関与がなければ実現しない課題である。38度線撤廃とともに、韓国と日本を結ぶ国際平和道路と海底トンネルの建設を進める。これらによって過去の心情的恨みを解消していく。
  • 南北分断の縮図である、日本における民団・朝鮮総連の和解を推進することは南北の平和統一に資するものである。
  • 未来を築く青年学生交流を積極的に推進して、平和世界実現の未来への土台とする。青年学生間の文化交流が積極的に推進されなければならない。

 困難を伴う南北統一への道であるが、不可能ではない道でもあるので、世界的課題として周辺諸国との協調と協力のもとに、自主的平和統一が実現することを願うものである。

以上

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