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伊勢歴史探訪

日本にとって、韓国は何でしょうか。韓国にとって、日本は何でしょうか。

このことについて、埼玉県立図書館長を歴任した郷土史家、韮塚一三郎氏は、「この高麗人、百済人、新羅人が、現在の朝鮮人の遠い祖先であることはいうまでもありませんが、また同時にこれが現在の日本人の祖先であることも忘れてはならぬことであります。」と言った。(『日本のなかの朝鮮文化 1号』、4ページ)


私は全国の渡来人遺跡を調べながら、韮塚一三郎氏の証言が事実であることが確認できた。

これから、県ごとにどんな渡来人遺跡があるかを共に確認したい。

渡来人研究家 金昇虎

※ こちらの記事は、渡来人研究家・金昇虎氏 個人の意見です。
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まず、伊勢神宮がある三重県はどうでしょうか。現在の三重県は伊勢、志摩、伊賀の三国からなっている。『伊勢国風土記』逸文によれば古代の伊賀国は「加羅具似(からくに)」といわれたという。「加羅具似」は文字通り加羅国、或いは韓国とも考えられる。

古代伊勢の国の中心地は、国府のおかれた現在の鈴鹿市で、国府庁があった現在の鈴鹿市国府町に、三宅神社が鎮座する。元は伊勢国の総社とされ、祭政の中心地であった。三宅氏は、新羅の王子、天日槍の子孫田道間守を祖とする氏族であり、氏名は、屯倉の管掌者であったことに基づき、全国に広く分布している。

三宅神社

三宅神社がある三宅町周辺は、県下でも有数の須恵器の窯跡所在地であるが、須恵器は朝鮮土器、新羅焼ともいわれた。須恵とは鉄(쇠:スェ)のことで、鉄のように固い器という意味であると言われる。

伊勢神宮

伊勢神宮の神宮という名称も新羅から来ているという主張もあり、「実妹の阿老に司祭させた」という記録から、伊勢神宮の斎宮制新羅から来たとする主張もある。

伊勢にも、亀山市と鳥羽市にもかつて新羅であった白木という地名がある。

五十鈴川

五十鈴川の名は、真弓氏は、イスズのスズとは褐鉄鉱のことで、イスズ川は、褐鉄鉱の多く採れる川の意だと解かす。なお、伊勢という地名について、李寧熙氏は、イは「聖なる」、セは「鉄」、即ち「聖なる鉄」と解している。真弓常忠氏は、倭姫命の巡幸は、鉄を求めての穴師たちの巡行であると言った。

五十鈴川の上流には高麗広(こまびろ)という地名があり、有名な伊賀織が「高麗織」というものであった。

伊賀流忍術の始祖である服部氏の祖神は敢国神社で祭られているが、高句麗から来たのである。

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