今はまだ、事態が現状進行中であり、不確かなことが多いので、本当は時事的な問題は扱いたくはない。
ここで、世界情勢や政治のことをあまりふれないのも、主義主張ということもあるけれど、政治評論家のように論評することにやや躊躇するからである。
あまりに政治情勢は生もので日々変化している。
それを捉え、判断して書くというのは、リスクが大きいばかりではなく、常に事件や事象を追い続けなければならない。
人間は、無意識に言動を変えても、自分自身は変えたことを意識していないことが多いのである。
なので、論評するのは政治評論家という専門家に、餅は餅屋に任せるという気持ちになる。
ただ、そうした現象ではなく、その背後に流れる時代思想や意味については、もちろん、今後も考えていきたいというのは確かである。
閑話休題。
だが、大谷選手のファンの一人としては、思うことが多いので、日々、ネットの最新ニュースをチェックしている。
通訳をしていた水原一平氏の違法賭博と大谷選手の口座から7億円近い額を引き出し、送金をしたことの背景が明らかではなく、この問題が今後どうなっていくかは、捜査の進展とともに変わっていくことは間違いない。
毎日のように流される文化人や弁護士、タレントの発言については、あまり言いたくはないが、どうしても事実確認のない無責任さを感じることは仕方がない。
ただ、私がこの事件からふっと連想したのは、まったく関係のないように思われるイエス・キリストのことである。
大谷選手がイエスのように完璧に人格が素晴らしいということではなく(もちろん、そのイメージも無くはないが)、イエスが十字架につけられた原因の一つである弟子のユダのことである。
よく知られているように、ユダはイエスを訴えることで、裏切者というイメージが以後つきまとっている。
このユダは、もともとそうした裏切り者の性格をもっていたかのように、後世では語られることが多い。
だが、ユダはもともとイエスが率いた十二弟子の中でイエスにもっとも信頼されていたという説がある。
それは彼がグループの活動資金である会計を担当していたからである。
大事なお金を信頼できない者に預けることはできないというのは、現代だけのことではなく、古代においても変わらない。
そのために、イエスが一番信頼を抱いていたのがユダだったという説である。
これは私の推定ではなく、そのような指摘をする学者がいるということである。
このことを裏付ける史料となるかどうかはわからないが、ユダが一番弟子であったという史料が存在している。
それは1970年代にエジプトで発見されたパピルス文書の「ユダの福音書」に記されている内容からだ。
よく知られているようにキリスト教の教義書である新約聖書には、「福音書」というものが何種類も存在する。
正統な福音書とされているのは、「マタイ」「マルコ」「ヨハネ」「ルカ」の4つである。
このほかにも、多数の福音書が存在しているが、それらは公的なものと認められず、外典として参考書のように扱われている。
福音書には、名前がついているように、それぞれのイエスの弟子の名前を冠していることから分かるように、弟子本人の口承か書き残した文書の断片から、その弟子のグループが書き物として完成させたものである。
だから、弟子個人の考えだけではなく、他の弟子との教義や伝承についての違いがある。
マタイ派、マルコ派といったような派閥があったのかどうかは分からないが、これらの弟子の派閥にはイエスに対する共通の伝承事実とその派閥が独自に付加した解釈が混入していることは間違いない。
だからこそ、カトリックの公認福音書を決定するのに紛糾し、一つに決められないという判断に落ち着いたということだろう。
ただ、決められないが、4つに絞ったのは、会議に参加した大司教クラスの人々の妥協や合意があったからだろうとも思う。
4福音書があるために、微妙な違いを生み、そこから分派的なものが派生していったルーツもあるかもしれない。
その公的な福音書として認められなかった福音書の一つが「ユダの福音書」である。
認められなかったら、外典という参考書にすればいいのだが、それができない異端的な内容を含んでいたために、本来は破棄され、歴史の闇に消えていく運命だった。
だが、それをいさぎよしとしないユダの弟子グループは、それを砂漠の中に埋めて隠した。
それによって、本当かどうかはわからないイエスとユダの関係についての新しい証言を知ることになるのである。
それによると、十二弟子の中で、もっともイエスが信頼していた弟子は、ユダであったということが記されている。
会計責任者という観点からではなく、ユダはイエスの信頼が篤いために、一番重要な使命を与えられたというのである。
それはイエス自身がユダに裏切りの指示をし、自分を訴えるようにしたという内容である。
イエスはユダを信頼していたために、秘密中の秘密である「裏切り」を指示し、そしてユダは自分が後世非難を浴びることを覚悟して裏切ったというのが「ユダの福音書」である。
その真偽については、専門家ではないので何とも言えないが、ただ信頼していた者に裏切りの告発をされたという点では(通訳の水原一平氏の発言)、どこか現在の大谷選手に起こった悲劇をほうふつとさせるものがある。
大谷選手は、家族以上の信頼を通訳の水原一平氏に寄せていたことは間違いない。
そうした事件をめぐる一連の出来事や状況を私は2000年前のイエスとユダにどこか通じるように感じたので、この場で書いてみたのだが、果たして今後どのように事態が推移していくのか。
それは今後の捜査の進展を待つほかはない。
(フリーライター・福嶋由紀夫)