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女性リーダーの時代と危機管理

 

 「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している」というマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」にならうならば、「一匹の新型コロナウイルスが世界を徘徊している」ということかもしれない。

 今や世界を覆うように感染拡大している新型コロナウイルスは、国境線を超え、あらゆる国家に蔓延し、国民の生命を脅かしている。

 死者数も、5月16日現在では、約30万人。この数字も、WHO(世界保健機構)などのデータからカウントしたもので、実際の数字はこれよりももっと多いと考えられる。

 その上、今後、その数が増えるだろうから、今後、どれほどの被害になるかは想像の域になる。

 まるで、かつてヨーロッパを脅かしたペストのように、地球に住む人類の前に新型コロナウイルスは立ちはだかっている。

 世界平和を脅かす危機は、これまでならば、武器を取っての戦争だったが、今回のコロナ危機は、まさに見えない武器による戦争、それも、一国だけの問題ではなく、世界中の国々が協力し合うことがなければ、この危機を乗り越えることができないといっていい。

 なぜなら、ウイルスにとって、国境線などは問題ではなく越えられるからだ。

 見えないウイルスの感染拡大を防ぐためには、感染を運ぶ人間の往来を停止し、感染しないような鎖国状態を取るしかない状況だ。

 だが、過去の時代ならばともかくも、現在のようなグローバリズムの時代にあっては、この政策も限度がある。

 貿易などによる経済的なつながりによって、閉鎖を一時的に持続できても、長期間のロックアウトはその国の経済を破綻させかねないからだ。

 そして、特に食料やエネルギーなどの問題で、備蓄期間はそう長くは保つことは原則的に難しいのである。

 その意味で、国益を中心として自国中心主義の時代の終焉、新しいパラダイムが、コロナ以後の世界秩序形成の時代が到来しているといって過言はないだろう。

 この危機に際して、世界各国の政治リーダーたちの対処は、基本的にはそれほど変わらないが、ただ、そのリーダーの決断と実行の違いによって、感染拡大防止状況に大きな開きが出ている。

 危機の時代のリーダーの資質は、平時の平和時代とは別な能力が問われることは言うまでもない。

 もちろん、同じリーダーといっても、アメリカやヨーロッパを中心とする民主主義国家と独裁型の社会主義・共産主義の国家のリーダーを同列に論じることはできない。

 独裁主義国家では、リーダーの決断は、絶対的であり、それを実行させるための政治的なおかつ軍事的な力をもって実行させる。

 反対すれば、弾圧をもって封じ込めるだけである。

 その意味で、リーダーを考察する上で、このことは最初から考慮しなければならず、現在の考察からは外さなければならない。

 ここで注目したいのは、世界の先進諸国における政治リーダーの決断と実行をみると、男性型と女性型リーダーによって、かなり差があることだ。

 その点で、際立った違っているのは、女性リーダーの対応力である。

 たとえば、台湾の蔡英文総統は、早期に介入政策を実施し、今のところ、新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込めて感染拡大を阻止している。

 また、ヨーロッパのドイツのメルケル首相は、最大規模の新型コロナウイルス検査を実施するなど、早期に手を打っているし、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相も、早い段階の3月19日の時点で海外からの旅行者の入国を禁止し、同23日には4週間にわたる全国的なロックダウン(都市封鎖)を発表するほどだった。

 そのほかにも、女性リーダーの対応は、男性のリーダーに比べてかなり迅速であり、決断も早い。

 ふつうであれば、政治的決断は男性の方が早そうに思えるが、コロナ危機においては、女性リーダーの方が際立ち、しかも、大きな成果を上げている。

 これはなぜなのか。

 様々なことが考えられるが、その一つには、男性が常に古代から外に出て、狩猟などを通じて家族の生活のために戦うという性質、すなわち武器などを使って食料となる獣を取ってくること、また常に外敵、それは同じ人類のこともあり、それと戦闘などで戦わなければならないという性質があるからだろう。

 時には武器で戦い、時には話し合いという政治で自分の家族のために防衛と利益を確保する。

 男性にとっての政治は、基本的に自分の家族や地域、国家のために外で戦うということが主軸となっているのだ。

 ところが、女性にとっては、守るべきものは外ではなく、自分の子供や夫を含めた家族であり、それは本能的な母性によって形成された愛情である。

 それは理屈ではなく、本能的な子供を産み守り育てるという性質から来ている。

 その意味では、敵味方というものではなく、母性によって両者を包み込み、平和に解決しようとする本能から来ているといえるだろう。

 男性の場合は、どうしても理性と知識によって利害関係や利益不利益という天秤にかけて、その両者の一致点を探し、多少不満でも妥協を厭わない。

 どうしても立ち位置が政治的であり、腹の底では何を考えているわからない点がある。「面従腹背」という言葉が当てはまる面がある。

 だが、女性は、守るべきものに対しては、何も計算せずに徹底的に無償の愛情を注ぐ存在である。

 そのことを考えれば、なぜ男性型リーダーに対して、女性型リーダーが迅速かつ的確な判断を下せたのかが理解できる。

 女性リーダーは、国民を引っ張る独裁的な国家のトップではなく、国民を守る側に立った母親であるということである。

 子供たちを守るためには、どうすればいいのか。

 何よりも優先されることは、家族や国民の安全と平和であり、そのための決断であり、実行であり、政策である。

 まず第一に考えるのは、「平和」と「安全」なのである。

 国益も考慮するかもしれないが、政治的なプライドやメンツ、利害などの要因は、男性が常に意識することで、そのために無益な戦争を辞さなかったり、平和な条約締結を渋ったりすることはない。

 その意味で、現在のような世界に必要なのは、戦いに勝つための武力を行使するリーダーではなく、母親たる女性リーダーの存在である。

 偉大な女性、母こそが、世界平和を生み出す基となるといっていい。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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