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子供向けの絵本の持つ可能性について

 ネットサーフィンをしていると、たまに面白い記事が見つかる。
 それを読んでいると、様々な事を考え、そして、過去に読んでいたこと、考えていたこと、感じていたことが甦ってくることがある。

 その一つに絵本についての記事がある。
 3人の息子と娘1人を全員東大の医学部に合格させた母親の話だ。
 この母親は子供が3歳になるまで、延べ1万冊の絵本を読み聞かせたという。
 もちろん、絵本を読み聞かせたことが直接東大医学部合格に結びついたかどうかは記していないが、それが大きな要因だったことがうかがえる話となっている。
 それにしても、1万冊という膨大な数字には気が遠くなるほど。
 それを真似しようと思っても日記の三日坊主のように途中で私などは挫折しそうだ。
 それでなくても、子育ての大変さはよく見聞きする。
 夜泣きや授乳、そして家族のための炊事洗濯など家事をしなければならない時間もあって、とても悠長に絵本を読んでいる時間などないに等しい。
 その上に家計を助けるためのパートなどをしていたら、それこそ精神的にも肉体的にも疲労困憊の毎日になるだろう。
 専業主婦としても、事情はそれほど変わらないといっていい。
 3歳まで、1日にどれくらい絵本を読んだら1万冊になるのか。おそらく、同じ本を何十回も読むこともあるだろう。

 大人になると、同じ本を読むにしても、2、3度が限界で、繰り返して読むのは苦痛でしかない。
 しかし、子供は面白いと思うと、同じ本を何度でも読む。
 何度も読んで同じところで笑い、泣くのである。
 不思議なことだが、同じ絵本をそのたびに新しい感動を覚えてしまうようだ。
 だが、大人の親は飽きてしまう。つまらなく感じてしまう。
 子供が要求しなければすぐに止めて、ほかの事をしたくなる。
 しかし、同じ本だとしても、それをせがまれれば、親としても同じ絵本を読み聞かせしなければならない。
 何度か読んでいると、だいたいのストーリー展開がわかり、自身では楽しめなくなってしまう。
 子供のためにという前提がなければ放り出したくなってしまうだろう。

 育児の大変さは、子供のためにという愛情があっても、自身が楽しめないと、投げやりになったり、義務的になって形だけのものとなってしまうことがある。
 読み聞かせにしても、ただ機械的に読んでしまえば、その波動が子供に伝わってしまうことがある。
 子供は親が嫌々読んでいるということを感じてしまうのである。
 そうなれば、子供は親の気持ちに忖度して、絵本を何度でも読んでもらって楽しみたいという自分の気持ちを遠慮して抑制してしまうだろう。
 子供がそうなると、知的な好奇心という成長すべき欲求が育てなくなる。

 そのことを考えれば、東大医学部合格者4人を出した母親の絵本読み聞かせはどうだったのか、興味をそそられる。
 私が読んだ記事には、そのことについての具体的な話は少ししかない。
 それでも、疲れて読むのが大変な時であっても、絵本の面白さに助けられたという点があったようだ。
 そして、それを楽しむことができたのも、この母親自体がその親に絵本の読み聞かせをしてもらって育ったことが背景にあることがわかる。
 たとえば、子供のころに読んでもらった絵本だと、父親の膝に座って読んでもらった記憶が甦り、その時の幸福だった思い出が読み続ける原動力となっているのだ。
 ただ義務的に読んでいてはそうはできない。
 やはりそうした自分自身の子供のころに与えられた親からの愛情があってこその1万冊という膨大な読み聞かせに繋がるのだろうと思う。

 なぜ早くから絵本を子供に読み聞かせしようと思ったのかについては、子供の泣くしか自分の意思を伝えられない状態を見て、正しい日本語で語りかけることの重要性に気づき、それには絵本の読み聞かせがふさわしいと思ったからだとある。
 絵本というと、どうしても、子供ための大きな絵と短い文で構成された幼稚なものという先入観を得やすいが、果たしてそれは正しいのか。
 それを考えさせてくれるのは、大人が子供の自殺を経験して打ちのめされたある一人の人物の絵本体験がある。
 それは、大宅ノンフィクション賞などで知られているノンフィクション作家の柳田邦男である。
 柳田は子供の死を直視することができずに、仕事も手につかず、自分を責めたり、様々な苦悩の果てにある絵本を読んで、そこで救われた体験を述べている。
 どんな哲学や人生観でも救われなかった思いが、絵本によって甦ることでできたという話は説得力があり感動的もある。
 そのあたりの詳細は柳田の『大人が絵本に涙する時』などの著作を読んでもらえればいいだろう。

 絵もストーリーも単純な絵本になぜ人の心を救う力があるのか。
 それは絵本というものが、人の心に語りかける真実を秘めているからだろう。
 童話や絵本には、人が成長する上で、重要な知恵や感情、思いなどを自然な形で教えてくれるものがある。
 たとえば、絵本ではないが、童話の「幸福な王子」などは、人間として生きるための心の在り方を呼び覚ましてくれる。
 人のために自分を犠牲にすることの尊さや喜びを伝えてくれる。

 もちろん、絵本には教訓的なものもあり、あるいはナンセンスなものもあるので、一概にこうだ、とは言えない。
 が、子供であっても大人であっても、人間の心の奥底にあるものへ届くメッセージが絵本にはあることは確かである。
 たとえ、それがシンプルであっても、いや、シンプルであるからこそ、かえって新鮮なメッセージとしてしみ込んでくるものがあるのだろう。
 そうした情操や心の本質的な思いを呼び覚まさせてくれる絵本。
 今からでは遅いと思うかもしれないが、大人にもまだ眠っている子供の部分が心にはあるはずなので、ぜひ一度は絵本の世界を開いてみてはどうだろうか。
  (フリーライター・福嶋由紀夫)

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