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字のことなどで思うこと

 私は今でも字がうまく書けない。

 要するに下手くそである。

 婚約時代の妻からは、「まるでミミズがのたくっていたような字だった。人に見られるのが恥ずかしかった」と後に言われて落ち込んだことを覚えている。

 何もそんなにストレートに言わなくてもいいじゃないかとさえ思ったほどである。

 その私とは反対に、妻の字は風格があってきれいである。

 妻に聞くと、実家は農家だったので、貧しかったこともあって特別に学習塾などで字を習ったことはないという。

 それを聞いて私は余計に落ち込んだ。

 確かに生まれつきに才能があって、勉強をしなくても優秀な成績を修めてしまう人も存在している。

 妻もそうだったのかもしれない。

 私は字が下手なのに比べて、わが家族の兄は字が上手である。

 兄は習字の学習塾に通っていたので、特別うまいとは言えないけども字は私よりはずっと端正で見栄えがしている。

 もし私も習字の塾に通っていたら、もっとマシな字を書けるようになったかもしれないと思うことがある。

 とはいえ、わが家としてもそう豊かではなかったので、兄に続いて私を塾に通わせるほどの余裕はなかった。

 その上、学校が終わっても塾に通うなどという生活が私は願い下げだった。

 遊び時間の方が私には大事だった。

 このミミズのような字のせいもあるだろうが、私は手紙にしてもはがきにしても、書くのが苦手だった。

 下手な字を相手に見られ、どう思われるだろうか、と書く前から憂鬱になったことを今でも思い出すほど。

 だから、もし手書きの方法しかない時代が続いていたら、私はフリーライターのような書くことを職業にはしなかっただろう。

 私には手書きのいらないワープロやパソコンの登場がまさに救い主のような存在だったと言えるのである。

 だから、初期の段階からワープロやパソコンにあこがれ、手頃な値段になってから、購入して使い始めた。

 初期のワープロは、それこそ画面が狭くて、2,3行ぐらいしか映らない。

 なので、書いていくうちに、前の文章でどう表現したのか、気になって調べるときは、かなり難儀した。

 画面も液晶ではないので暗く、見てもわからないこともあって、大変使いづらい時代だった。

 それでも、自分のミミズのような字を直接見ることがないので、その点についてはストレスもなかった。

 もちろん、当時はワープロにしてもパソコンにしても性能はかなり現在に比べて劣っていたが、それでも執着していたのは、やはり自分の書き文字に対するコンプレックスがあったからだろうと思う。

 だれでもそうだろうが、現在使っているパソコンは、もう何台目になるだろうか。

 パソコンは機械ということもあって故障することも多い。

 パソコンが生きた生物のような存在だったら、それこそ死屍累々のありさまである。

 ただ、時代とともにパソコンの性能は驚くほど進化している。

 もちろん、私は仕事を中心に使うので、多機能という最新のパソコンを使いこなすことも難しいし、それほど必要性も感じない。

 基本的にワープロ機能、メールの送受信さえあれば、それだけで十分である。

 なので、基本的には最新の機種よりも、その前の中古の機種を選んで使っている。

 それで十分ではあるけれど、使っているうちにパソコン好きが高じたのか、画面の脇に出て来るパソコンの広告が出ていると、ついクリックして、その性能や価格やその他の情報を知りたくなって見てしまうことが多い。

 現在の私は、メインに使っている機種と事故や故障があったときのためのサブのノートパソコンを所有しているので、これ以上は必要がない。

 しかもスマホもある。

 これ以上は必要性がまったくないはずなのだが、それでも、新機種をみると、ついほしくなって広告画面を長い間見入ってしまう。

 私が今気になっているものは、機能や性能ではない。

 高齢となったせいか、持ち運びに重量が重いものは、かなり身体にこたえて来る。

 若い時代は、それこそカバンやリュックに、紙の書籍の本をそれこそ多いときには10冊近く詰め込んでもそれほど苦にはならなかったが、今は数冊でも重いと感じてしまう。

 ノートパソコンでも軽いものではないと持って歩けない。

 難儀なことだが、私は同じ場所で集中して仕事をしていると、つい飽きてしまい、発想もアイデアも浮かんで来なくなる。

 そういう時には、場所を変えたら劇的に変化するので、私は家からノートパソコンをもって喫茶店に移動して仕事の続きをすることにしている。

 家で仕事をしているときは、テレビなどが騒音と感じて集中を切らしてしまうので、すべてをシャットアウトしている。

が、喫茶店は逆に話し声などの雑音が満ちているので、ふつうに考えれば仕事に集中できないはずだが、それが不思議に話し声などの騒音がそう気にならない。

むしろバックミュージックのように書きやすい。

不思議だと思いつつ私は画面を見つめながらキーボードを叩いているのである。

(フリーライター・福嶋由紀夫)

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