記事一覧

少年十字軍と三島由紀夫

 三島由紀夫の短編小説に、中世ヨーロッパの十字軍、それも特殊な形で発生した少年十字軍をテーマにしたものがあったことを記憶している。

Mishima Yukio 1970


 「海と夕焼」というタイトルだったと思う。
 十字軍自体は、約8回にわたって行われた全ヨーロッパを巻き込んだキリスト教の聖地エルサレム奪還運動ということができるが、成功した部分もあるが、最終的には失敗したといっていいだろう。
 これによって、ローマ法王の権威が失墜したこと、ヨーロッパの王権の性質が変わったこと、そして、主体的に動いた騎士階級の没落など、さまざまな変動を生み出した。
 失敗したというのは、イスラエルの聖地奪還のこともあるが(奪回に成功して聖地エルサレムにキリスト教王国を一時的に樹立したことがある)、その後の十字軍は聖地に向かうよりも、同じキリスト教のギリシア正教の都市を攻撃し、略奪したことによって、キリスト教国家自体の分裂と崩壊を促した。
 聖なる目的が現世利益的な性質を帯びて、その遠征に略奪、奴隷、殺戮などキリスト教の教義とは無関係な行動が頻発していたことは、ヨーロッパにおけるキリスト教の変質、資本主義的な強欲主義の萌芽が生まれたといっていいかもしれない。
 ただ、この十字軍に呼応した民衆は、信仰的な動機、狂信ともいうべき行動によってみずから進んですべてを捨てて参加した人々が少なくなかった。
 そのあたりは、少し性質は違うが、江戸時代の伊勢参りの狂熱とどこか通じるものがある。
 大人たちが田畑を耕していた鍬を捨て、家族を捨て、そして、単身ですべてを投げうって着の身着のまま十字軍に身を投じたことはよく知られている。
 その中で、少年十字軍も生まれた。
 いくつかの少年十字軍をテーマにした小説を読んだことがあるが、それはある少年に天から降りた啓示から始まっていたと記憶している。
 少年は、啓示が降りたその瞬間からそのまま十字軍へ合流するために、フランスだったと思うが、南の地へと向かって歩み始めた。
 最初は一人だったが、少年の姿を見て、その話を聞いて、次から次へと参加者が増えていき、そして、十字軍に向かう港では一大勢力となっていった。
 その後、彼らの行く末については、あまり知られていない。
 その後のことについて書いているのは、私の読んだ本の範囲限定になるが、三島の小説だった気がする。
 三島の小説では、記憶によるが、少年たちは船に載った後に船主に騙され、十字軍ではなく奴隷として売られてしまったという経緯が記されている。
 何も知らない少年少女たちは、強欲で手練手管の商人から見れば、単なる獲物にしか過ぎないのだった。
 そして、その奴隷として世界各地を転売されながらさまよった少年は、最後にキリスト教とは全く違う異教の地であるアジアの果ての国、日本に流されてきた。
 三島の小説では、13世紀の鎌倉の建長寺の寺男となった元少年十字軍の老人が、晩夏の夕焼けを見ながら過去のことを思い出すことから始まっている。
 なぜあれほどはっきりした神の啓示によって行動した自分が、奴隷とされ、そして、異国の地に来るようになったのか。
 なぜ神は沈黙しているのか。
 それを問い続ける。
 いわば、遠藤周作の『沈黙』の三島版といった印象がある。
 遠藤の場合、「沈黙」を通して神の新たな世界、許しと愛の世界が現れて来るが、三島版では、神は依然として沈黙し続けている。
 答えのない世界で、元少年十字軍の老いた寺男は、ただ海と夕焼けを見つめるばかりだった……。
 確かに神の声はあったが、それは選ばれた自分の人生をすべて保証するものではなかった。
 ならば、こうした境遇に追い詰めた神の声とは何だろうか。
 一編の詩といった方がいい作品だが、三島はこの作品を通して信仰の問題を扱ったのではないだろうと思う。
 では何を示したかったのか。
 絶対者である神と人間の隔絶した意識の分離、すなわち神の声を聞いたとしても、それで自分の運命が変わる変わるわけではない。
 ただ運命のダイスが転がるように、故知れない不安と苦悩とともに坂道を転がっていくしかない。
 そうした東洋的な世界観、運命観、そして仏教的な無常観を示したかったのかもしれない。
 この作品を読んで、運命の甘受を通して人生における不可解な悲哀を感じたことを覚えている。
 要するに、悲劇的な生涯に刺激された詩なのである。
 実際に、当時、鎌倉時代にそうした元少年十字軍の寺男がいたかどうかは実はわからない。
 ただ、奴隷として日本まで流されてきた西洋人はいただろうと思う。
 実際、織田信長の時代、奴隷の黒人が信長に見いだされて家臣となったことが知られている。
 日本は島国ではあるが、奈良時代の古代から海外からの渡来人の来日は史料でも伝えられている。
 それこそペルシャ人なども来たことは史書に記されているほど。
 私が少年十字軍の物語を読んで、連想したのは、神の声を聞いてフランス軍を奮い立たせたジャンヌ・ダルクのことだった。
 ジャンヌ・ダルクは、その華やかな部分ばかりがスポットライトが当てられているが、最期の火あぶりの刑に遭ったあたりの事情はあまり知られていない。
 要するに、悲劇的な最期を飾るにふさわしい殉教者のストーリーとなっているが、神の声が途絶えた最後の期間は、人間ジャンヌ・ダルクの思い惑い、信仰者としての悩みと苦悩が残されている。
 使命が終わったのちに、人間はどのように生きていくのか。
 元十字軍の少年やジャンヌ・ダルクの生涯には、そうしたことを考えさせられるものがある。
 (フリーライター・福嶋由紀夫)

関連記事

コメントは利用できません。