2025年は干支でいえば、巳年、要するにヘビの年である。
実はヘビは苦手で好き嫌いでいえば嫌いなのだが、干支を考えるとどうしても、外すことができないので仕方がないので思ったことを綴ってみる。
そのために、ヘビ関係の本や干支考察の本を集めたのだが、どうしても触手が伸びない。
手元に持ってきていざ開こうと思っていたら、カバンには入っていないことに気づいた。
家にいると、どうしても書きたくない気持ちがあって、仕事が進まないので、数冊のヘビ関係の本をもって喫茶店で書こうと思ったのだが、無い。
無いものは、無い。
どうやら無意識に持っていくことを拒否していたらしい。
ヘビの素晴らしさを豊富なカラー写真で解説しているのだが、そのカラー写真があまりにも美しいので、見ただけで卒倒しそうになってしまう。
これは無意識の行為なのだろうが、書くためには困惑してしまうのである。
思えば、ヘビが嫌いとなったのは、個人的な体験が背景にあるようだ。
思い出してみると、ヘビ自身の実体に遭ったことはそれほど多くはない。
幼いころ、両親に連れられて山の温泉宿に宿泊したことがあるが、そのときに、山道の道路で車を止めて数人の人が何かを囲んでいた光景を思い出す。
その時は、両親とともに何だろうと思って覗いたら、一匹の鎌首をもたげたヘビを囲んでいるのだった。
その時の一人が「これはマムシという毒蛇で嚙まれたら死んでしまうぞ」と私を見て脅すように話したことを覚えている。
ヘビは自動車に少し轢かれたようで、頭の部分が少し血を流していた。
それでも威嚇しながら、自分を囲んでいる人々を見つめていた。
この時には、マムシもヘビもあまり知らなかったので、怖いと思ったことはない。
ただ、血だらけのマムシが少しかわいそうに思ったほどだった。
その後、マムシはしっぽをつかまれて放り投げられた。
そこは山の峠のような高地だったので、ブーメランのように飛んで谷に落ちていくヘビの蛇体が何かの紐のようだったことを覚えている。
だから、この時の遭遇が印象的だったとはいえ、これが怖いという原点にはなっていない。
恐怖というのは、自分が感覚的に恐怖を感じるような状況に置かれたときに発する感情だとすれば、ヘビに噛まれた体験がないので、実体験からではない。
なので、過去の記憶を探っていくと、どうやら私がヘビに恐怖感を覚えるようになったのは、マンガらしいと気づいた。
2024年の10月に亡くなった漫画家の楳図かずおのマンガ「へび少女」だったかと思うが、この少女漫画を読んで心底怖い思いをしたのである。
天井をズルズルと這う不気味な音や天井の穴から覗く目など、今でもあざやかに思い出すほど、このマンガには怖い思いをした。
そのほかで思い出すのは、夏のカブトムシなどの昆虫採集のときに遭遇したヘビのことである。
私は幼少時、母方の実家の田舎に行くのが楽しみだった。
住んでいたのは東北の地方都市だったが、生活環境付近には、自然は少なく、昆虫を採集できるようなスポットが無かった。
なので、夏休みに入ると、すぐに母方の実家を訪ねてカブトムシやクワガタムシの採集をして過ごすことが多かった。
田舎とはいっても、郊外から山々の付近に広がった田園地帯で、時折クマの出没があったものの、山があり、谷川があり(ここで危うく溺れてしまった水難に遭ったことがある)、カブトムシの採集できるクヌギ林などがあった。
私は少し年上の従兄に連れられて、朝早く自転車に相乗りして山に向かったものだった。
山と言っても、少し傾斜がある高地で、そこには清冽な川が流れ、近くにクヌギ林が広がっている場所だった。
山道は人の足で造られたものなので、雑草が生え、凸凹道だった。
私は自転車を苦しそうにこぐ従兄の腰につかまりながら、山道を進み、あたりにただよう風や草のにおいにむせるようだった。
秋になると、道には毬栗が散らばっていたが、夏には腐って落ちた青い毬栗があるぐらいだったが、突然、道の途中で、従兄が自転車からころげ落ちた。
私も突然の出来事に、地面に叩きつけられた。
文句を言おうと思って従兄を見ると、ふだんは温厚な彼が青白い顔をしていた。
「どうしたのさ」
「ヘビを自転車で轢いたみたいで、おれを噛みつこうとしているんだ」
横転した自転車を見ると、前輪のタイヤに巻き付いて一匹の細長いヘビが口を大きく開けて舌先を刀のように伸ばして威嚇している。
そんなに大きなヘビではなかったが、何しろ威嚇する姿が本当に恐ろし気だった。
私は野性のヘビの本気に怒っている姿を見て怖気づいてしまった。
その時の印象が、ヘビへの恐怖感を掻き立てたと今では思うようになっている。
そのほかではそうした遭遇の体験はないので、ヘビへの恐怖感はわずかな遭遇とテレビなどの番組や読書などの知識によって得られたものが積み重なっているのだろうと思う。
と同時に、キリスト教の旧約聖書の創世記に記されている人類始祖のアダムとエバを誘惑した悪の象徴としてのヘビが強いインパクトを与えているのかもしれない。
実際にはヘビそのものが悪ではないのだが、ヘビの習性が姿が悪を象徴する実体として比喩的に用いられたのだろう。
そうだとすれば、ヘビを嫌うのは個人的な思い、観念であって干支のもつ運勢や意味としてはあまり関係がないといってもいい。
ヘビは水とかかわりが深く、日本では神様として祀られている面がある。
脱皮を繰り返して成長することからも、永世や生命のよみがえりなど、プラス的な面も多い。
その意味では、平凡ではあるけれど、2025年が良い年になるように祈るしかない。
(フリーライター・福嶋由紀夫)