窓の外には寒い風が吹いている。
風が木々を揺らす音、フルートを吹くような低音で、あたりに不思議なささやきをまき散らしている。
不気味な感じがするときもあれば、やさしいセレナーデのように聞こえることもある。
私のアパートの部屋は、三階なので、風も障害物がないためか、かなりガラス窓を乱暴にたたいたりする。
時には、誰かが外にいて訪ねて来たような錯覚を感じたりもする。
そんな夜には、自然にとりとめのない考えにふけってしまう。
ふとみずからの歩んだ今年の1年のことなどが浮かんでくる。
これを書いているのは年末ごろで、クリスマスも終わり、街には正月に向けての松飾などが売り出されている。
正月には、昔は家の玄関に門松を立てている風景が当たり前だったが、最近は簡略にしている家も多い。
特にアパート住まいならば、飾る場所もないので、ドアに松飾を吊り下げるぐらいだろうか。
最近は、それさえもしないところも多い。
門松は、年神様を迎えるためのものだが、そうした昔ながらの習俗的信仰が薄れているので、仕方がないことだろう。
何しろ正月もクリスマス化して、イベント、お祭り、休日の一つといった感覚が強くなっているので、しなくてもいいという気になっても不思議ではない。
本当は、祭りにしても正月風俗においても、たんなる習俗ではなく、そこには生きた信仰といったものが横たわっていた。
それが今から見れば、非科学的なものであろうと、当時の人々にとっては、現実的なものだった。
何も意味がないことではなかった。
それをしないと、何か悪いことが起きると信じていたのだ。
信じるといったが、それは観念的で空疎なものではなく、社会一般に通用する常識でもあった。
だからこそ、真剣に神事に取り組み、その結果によって、翌年の豊作を祈願し、家内安全を願ったのである。
だいたい日本に限らず、祭りや儀式には、人間が自然の中で育てる作物の豊作祈願が源流を成していたことは間違いない。
なぜなら、飢える危機が一番の問題だったからである。
家内安全、無病息災にしても、その根底にあるのは、豊かな食生活の保証があってこそのものである。
正月のお祝いをするのも、前年の良いことも悪いことも、いったんリセットして新しい気持ちで出発するという意味がそこにある。
年の終わりに迎える冬とは動植物が冬眠して活動できなくなる期間、一種の「死」を迎える。
しかし、それを越えて新春を迎えると、新たな「生命」が目覚めて生まれる。
「死」と「再生」の季節が年末と新年のリセットの儀式なのであるといっていい。
年末の時期に帰省し、ふるさとで正月を迎えるという習俗も、実は稲作のサイクルの「死」から「再生」といったものと無関係ではない。
私たちは、ふるさとの地で生まれ、その地の産物で肉体を形成し、そして、成長して親から離れて自立してふるさとを離れる。
そして、1年に1回、年末に帰省する。
それは象徴的には、胎内回帰、要するに「死」から「生」というサイクルを再体験するような意味があるのではないか。
親が元気かどうか久しぶりに顔を見に行く、夫婦となって子供を親に見せるために帰る、ただ行くところがないのでふるさとの先祖の墓参りをする、といった表面的な行動の背景には、自分のルーツというものへ帰り、再びそこから生まれ直して、新しい出発をする。
そのような死と再生の儀式でもあるのではなかろうか。
なぜなら、そうした行動は、冬に暖かい南に移動する渡り鳥と似ているからである。
無意識に、人間も深層心理において、渡り鳥のようなふるさと回帰をしているのではないか。
要するに、無意識に行う、自然の死とそれからの再生という行動なのではないか。
それが可能なのも、ふるさとが母親の胎内のようなところであるからである。
胎内生活は、冬の状態であり、一種の「死」の状態である。
そこから外界の世界に誕生することは、新春という「生」の世界へ跳躍することでもあるのだ。
その意味で、ふるさとは、冬から春への死から再生というプロセスをなぞらせてくれる本能的な基地ではないだろうか。
そんな気がしてくる。
むろん、妄想といってしまえばそれまでなのだが、だが、人間はふるさとがあるかないかでは大きく意識が違って来る。
ふるさとがないと、無国籍者のように定着地がない。
国のない民はふるさとを持たない、あるいは持てない、そんなことを考える。
長年、ユダヤ人は国を持てない流浪の民だったことを思う。
ユダヤ人のよりどころは、頭脳の知識であり、生命を維持するための財産は換金できる金やダイヤモンド、宝石などであった。
そして、家族だけが頼りだった。
だから、どんな事態になっても生き残れるように、その独特な民族性を育んできたのである。
人気が少なくなった年末の街を歩いていると、どこか懐かしいような、寂しいような気持ちになるのはなぜだろうか。
やはり自分の中にある日本人、民族の歴史的なDNAが年の終わりを感じているからかもしれない。
1年の終わりは、人間の側が作ったしきたりであるけれど、そうした時間の流れに区切ることで、終わりと始まりを意識するのである。
こうした1年という区切りへの思いは、やはり稲作民族で、春夏秋冬を過ごして来たから生まれる感情なのかもしれない。
今年もいろいろなことがあった。
果たして、来年はどんな年になるだろう。
毎年、同じような感慨にとらわれるのだが、毎年、年を重ねていくことで、心身が少しずつ衰えていくことを感じている。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」
中国唐の時代の詩人の句を思い出す。
(フリーライター・福嶋由紀夫)