このところ、高齢者特有の困った状況、自覚症状がない怒りに突然、駆られてしまうことに落ち込んでいる。
それまで自分はめったに怒らない、感情を露わにしない、冷静な方であると思っていたが、それは表面的なだけなのようだ。
実は、かなり沸点が低いのかもしれない。
これが高齢者特有の症状なのか。
あるいは、私自身の深層心理にもともと怒りっぽいマグマがあって、何かの拍子に火山の噴火のように爆発するのか。
それは、よくわからない。
ただ、「暴走老人」という言葉があるように、老人になれば肉体的な衰えが心身機能に影響を与え、自覚症状がないのにも関わらず、とんでもない行動や言葉が飛び出すことは間違いなくある。
高齢者の暴走行為については、現役を引退する(会社を退職)することで、プライドだけが現役のままのつもりでいるので、つい会社員時代の部下を叱るような気持ちになって怒り出すという心理分析がある。
確かに、そういった引退したにもかかわらず現役のような意識でいる人は多いだろう。
地域のネットワークからも孤立しているので、会社員時代が唯一の自分のアイデンティティーになる。
会社の地位の意識を引きずっていると、少しでもけなされたように感じたり、無視されたような気分になると、突然、怒り出すという行動に出るのは理解できる。
実際、会社員時代には、そうした怒り方をして部下を叱ったことがあるのかもしれない。
だからこそ、その延長のつもりで、理不尽な怒りを爆発させることがある。
だが、私は自分の突発的な怒りが起こるのは、そうしたプライド意識よりも、特に疲労などによって身体の機能の低下や衰えることによって現れる気がする。
なぜなら、こうした自分で意識しないうちに、感情をコントロールできずに怒り出したという経験を振り返ってみると、いまの状況を含めて3度あったからである。
最初は、中学生の蓄膿症の手術の後、ベッドに縛り付けられたようになって、外出もままならず、身体のエネルギーが怒りとなって、看病に来た母にぶつけてしまったことである。
これは怒りの原因があるというよりも、身体が手術によって自由にならない状況が、精神に鬱屈した怒りのエネルギーが爆発してしまったことによるといっていい。
母にとっては理不尽きまわりないものだったろうと思う。
2度目は、海外への取材旅行で、通訳者が立てたスケジュールがあまりにも過密だったため疲労困憊となって、最後の日に、少し苦情を述べようと口を開いたら、あれよあれよという間に相手に対して罵倒の言葉が飛び出して止まらなくなったことである。
罵倒しながら、自分でも驚くぐらい訳の分からない怒りの爆発だった。
怒りが怒りを呼んで、勝手に被害を大きくしていくような、自分自身ではコントロールできないほど大事となった。
後に、強行スケジュールを組んだのは、もっとたくさんいい所を見てほしい、という善意だったことが分かったが、そのときは、自分自身でもこれほど言っていいのか、と思うほどの罵倒のオンパレードだった。
その後、なぜ自分は怒りをコントロールできなかったのだろう、怒るにしても、あれほど際限なく長い時間、怒る必要があったのか。
むしろ逆効果にしかならないのに。
そう後悔したものだった。
そして、二度とそうした自分がコントロールできない理不尽な怒りに駆られないようにしようと決意していた。
だが、二度あることは三度ある、ではないが、最近、やはり理不尽な怒り、コントロールできない状況で怒りが爆発した。
もちろん、やや大げさに書いている面もあるので、他の人からみれば、それほどのことではないだろうと思うかもしれない。
けれど、本人はよく覚えているのである。
それは感情が自然に爆発しての怒りとは違って、自分自身には本当の意味では怒っていいとは思っていないという心理的原因があるからである。
全然、成長していないことが分かったが、同時に、正当な理由がなくて怒ったことは、記憶の中に残ってしまうということでよく理解できた。
そして、若い時の怒りは、身体が極度に疲れ切ってしまって極限に近い時、発症するが、高齢者の場合は身体機能が低下しているために抑制機能も低下して、疲労状況がピークに達しなくても突発的な怒りに駆られやすいということが理解できた。
我慢強いという言葉があるが、これも個人の意志の力が大きいだろうが、その中には身体的な機能の強さ、要するに肉体の状態が精神に影響を与えている気がする。
精神の強度とともに肉体の強度の問題によって抑制ができなくなり、感情が爆発して、思いがけない行動に出たりすることがあるのではないか。
高齢者の陥りやすい機能低下には、尿漏れなどがあるが、これは肉体の劣化現象だが、それは精神にも影響を与えているという気がするのだ。
老人が怒りやすい、話を聞かない、というのは人格や精神の問題よりも、肉体の老化の問題が大きいのではないか。
老化して身体機能が低下した肉体をコントロールできなくなってしまうために、精神的なコントロールも難しくなってくる。
そんな相関関係を思い浮かべている。
だから、怒りをコントロールするには、おだやかな人間になろうと無理に自分を押さえつけてしまうよりも、肉体自身を鍛える――すなわち運動することが機能回復とともに、精神の回復になるのではないか。
おだやかになろうとして、かえってストレスが溜まり認知機能が低下し、ボケが進行するという事態さえありうるかもしれない。
そうならないためには、適度な運動、それも長続きする散歩などを推奨したい。
もちろん、そんな程度の運動では、肉体の衰えの進行を食い止めることができない、という批判もあるだろう。
完全に抑え込むことは難しいかもしれないが、少なくとも、爆発の頻度を少なくすることはできる可能性がある。
だが、どんなに過激な運動をしても、長続きしなければ、リバウンドの恐怖が待っている。
重要なことは、自身の怒りをコントロールできるだけの肉体の健康を維持することである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)