考えてみれば、人生は人との出会いと別れの連続である。
もちろん、そうした出会いには通り過ぎるだけの関係も多いが、今なお忘れられない出会いもある。
そして、自分自身の精神的な形成を考えると、山あり谷ありの人生の中で、学校で出会った教師は物事の考え方や嗜好に、少なからぬ影響を与えていることに気づくことがある。
もし、その時にその先生に出会っていなければずっと違った人生を歩んでいたのではないか、と思うことがある。
出会いによって人の運命が開かれるということでは、思い出すのは、タレントのタモリのことである。
タモリを見いだし、東京に呼んで貧しい時代を経済的に援助して大成させたのは、漫画家の赤塚不二夫であることはよく知られている。
たとえ、才能があっても、原石のままで終わってしまうことがあるのはそれほど不思議ではない。
多くの天才が幼少時に生まれ、そして成長するにしたがってその芽を育てることができずに生涯を終えてしまうことが多いのは、「神童も20歳になればただの人」というようなことわざもあるぐらいである。
なぜそうなってしまうのか。
そこには、個人の能力を超えた出会いや何らかの関与がなければ、成長し、成熟していくというプロセスをたどることができないといっていい。
また、神童という表現には、才能よりも人より成熟する速度が速いということもあるかもしれない。
皆より早熟であることだけで、実際には、それほど突出した才能に恵まれていたのではなかったということもある。
いずれにしても、人間には自分自身だけではそのまま成長することはできないのは確かである。
やはり自分の知らない分野を教えてくれたり、指導してくれる師や先生との出会いがあって、そこから自分なりの考えや創造が生まれて来る。
それは何も人との出会いだけではない。
過去の先人、先賢などの残した書物などによっても、その知恵や思考、哲学を学ぶことによっても、新しい自分を成長させる出会いがある。
われわれは生まれてきて学び、知り、考える事によって成長していく。
自分だけで成長して来た人はいない。
家族の中で愛情とともに成長し、そして、学校生活で友人との交流を通じて情操が育ち、先生によって精神的な影響を受ける。
学校というものは、日本では画一的な授業によって、個性を殺すという批判もあることは間違いない。
だが、そうした中で、教師から学ぶことは単なる知識ではない。
膨大な社会の中で、自己形成をしていくには、先生が指し示す水先案内が、意外と大きな人生の方向を決める上で、示唆を与えてくれることがあるのだ。
それは先生の人格かもしれないし、自分が興味を持つ分野を目覚めさせてくれるきっかけかもしれない。
それは教師というものが、発する言葉に、そうした動機やヒントが与えられる場合があるからである。
少なくとも、私の場合、文学というものに目覚め、その方向に無意識に向くようになったのは、そうした先生との出会いがあったからである。
その先生は、小学校時代の教師で、K先生という名前だった。
担任の先生であったけれども、特に印象に残るようなことはただ一つの例外を除いてほとんどなかった。
外貌もメガネをかけた太り気味の体形をし、声も大声を上げるようなタイプではなかった。
ただ淡々と授業を進めていき、聞いていて面白くはなく、かなり退屈だったことを覚えている。
ただ他の教師と違っていたのは、昼食の休み時間に、楽しそうに自分が収集した民話の朗読をしてくれたことである。
もちろん、朗読といっても、演劇のように声に抑揚をつけたり、劇的なドラマチックさを演出したりなどはしない。
ただ活字を淡々と読むだけである。
最初は、食事の時間に、教師の朗読を聞くというのはあまり歓迎できないと思って、聞き流していた。
話もマンガのような面白さもない。
早くこの時間が終わってくれないかなあ、などと不埒なことを考えていた。
だが、いつの頃だろうか、この退屈な民話の朗読の時間が、とても魅力的なものに思えて来たのだ。
そのように気持ちがなぜ転換したのか、実は今でもよくわからない。
ただ、民話の世界から何か不思議なものが流れてきて、それを聞いていると、心が踊るような興奮を覚えた。
民話は面白い。
そのように感じて、いつのまにか、ファンになっていた。
ただ、子供心に、それを認めてしまうと、何か自分が気持ち的に負けてしまうかのような思いに駆られた。
子供とは言っても、一方には大人というものを意識した自尊心みたいなものもあって、それが素直に感動することを妨げていたのだろう。
だから、K先生のことは恩師として心の中で、尊敬心を抱いていたが、表面的には何の関心も持っていないように振るまっていた。
ただ、自分が物書きというものにあこがれたのは、よくよく考えると、この小学校のK先生との出会いによって生まれたのだろうと思っている。
もし、K先生が昼休みの時間に、民話の朗読をしてくれなかったら、おそらくその後、文学を志し、ライターとしての道を歩むことはなかっただろう。
そう思えるほど、この小さな体験は私の深層心理に深く沈んでいる。
かつて、中国の聖人・孔子は、人が3人いれば、その中の1人は自分の師である、といったような言葉を述べていた。
まさに、人との出会いが、生涯の自分の生きる指針へと導くことがあることを改めてかみ締めている。
(フリーライター・福嶋由紀夫)