“ 我が民族” という言葉に2つの隠れた顔
金源植 平和統一聯合中央本部事務総長
平昌オリンピックが2 月に開かれる。3 強(米国・中国・ロシア)首長が積極的な参加表明をしていない中で進行される平昌オリンピックは、南北統一チームを作る過程でも多くの議論が生じている。甚だしくは、文在寅政権の核心勢力と言われる20 ~ 30 歳。所謂、流行語にもなっている「2030世代」においても「ムンソン」(文在寅大統領を指名して申し訳ない。の意)や「ウリイニ(文在寅大統領)、これからはやりたいことをやめろ」という言葉が流行している。しかも、女子アイスホッケー南北合同チームに対しては、その世代の82%が反対しているという世論も興っている。
かつてセオドア・ルーズベルト第26 代アメリカ大統領は国務長官ジョン・ヘイに送った手紙で次のように語っている。「私は日本が韓国を占領することを必ず見たい。」「私たちは韓国人たちのため、日本に干渉することはできない。韓国人たちは自国のために一度も拳を振り上げなかった。韓国人が自分たちのためにも進んでやらないことを、自国の利益に何もならないにもかかわらず、韓国人たちの為だけにやってあげようというそんな国があると思うこと自体はあり得ない。」
この内容からすれば、我が大韓民国が自らを立てる事ができなければ、弱肉強食だけが通じる国際社会では孤立無援となるか、韓米日同盟として国際社会で人類平和のために一つの軸を持つのかという事を選択する時が来たと見る。
ここで、「我が民族」という言葉を一度考えて見ようと思う。英語で民族という言葉は、nation という。この「民族」という概念は、英国では16 世紀、フランスでは18 世紀に導入された言葉である。韓国では、19 世紀末、日本を通して「民族」いう概念に触れるようになり、「民族主義」が編成され始めた。この「民族」という造語は、氏族的意味が強い。
ドイツの民族主義者であり、社会学者であるマックス・ヴェーバーは、「一つの国民を正義とすることは、言語でも、氏族でも、地理でもなく、民族的信心を決定することは、政治史であり、より具体的に言うならば政治的記憶だ」と語った。
実際に、中国の毛沢東と北ベトナムのホーチ・ミン主席は、“共産主義の服”を着た民族主義者であり、ウラジーミル・レーニン議長とヨシフ・スターリン書記長は、資本主義の世界との闘争に、植民地ならびに反植民地の民族を同参させる戦術を選んだ。共産主義と民族主義者のビジョンの違いはあるが、彼らの“民族”というイメージの中には、相当な重畳と相補性がある。
北朝鮮は民族主義を前面に打ち出して、彼らの体制内部の結束と南韓瓦解工作をしてきた。いわゆる日帝時代の民族解放、武装闘争、北韓を収復する瞬間に、中共軍の介入が、「抗米援朝」(米国に対抗し、朝鮮を援助する)となったとの評価だ。このようなことが、日本に対して“ルサンチマン(ressentiment)”すなわち、憎悪、怨恨、復讐心を共有し、日米同盟に対してはぞんざいに話をし、中国には従うというおかしな奇形的流れがある。
このような流れの中で、北朝鮮の玄松月三池淵管弦楽団団長が、公演候補地を視察に来た時も、「来るとか来ない」としながら韓国に来るようになったのである。
民族と民族主義は、政治学者ベネディクト・アンダーソンがいう「想像の共同体」ではなく、実体がなければならない。例を挙げると、抗日運動をしたという金日成主席の治める北韓は物乞いの国となり、親日教育を受けた朴正煕大統領は経済大国を建設した。どちらが、国家と民族のために成ったことなのであろうか!
結論的に、2030世代と韓国国民が“我が民族”という名のもとで「赤化統一」を夢見るのではなく、また歴史を正しくたてるという名目で「積弊清算」だけを叫ぶのではなく、功七過三(良いこと七、良くないことが三)の原則を通して、お互い許し合い、愛し合いながら、未来に向かう国となることを望む。平昌オリンピックをきっかけとして、我が大韓民国が公益人間と敬天愛人思想を持っている本来の民族の正体性を取り戻し、自由と平和と統一と幸福のため、韓日米同盟国強化を中心としながら、北中露関係を持たなければならないのではないだろうか!
参考資料
「SBSテレビによる平昌五輪に関する世論調査」より作成
1.北朝鮮の五輪参加について
2.合同チームについて
3.入場時に使いたい旗は