
ある知人の女性から、深夜に電話があって、「不思議なことがあった」とのことだった。
文字通りコミュケ障害の気味がある私と違って、知人はコミュケのお化けみたいな人で、それこそ思いついたことがあったらすぐに電話してくる。
相手の事情などまったく考えない性格を私は迷惑に感じながらも、ちょっぴりうらやましくもあった。
というのは、私は先にも書いたことがあるが、「電話が怖い」という性質があったので、プライベートな時はなかなか自分からは電話しない。
仕事となれば仕方がないので電話をするが、それでも何度もためらったりする。
今ではその症状も軽くなったが、それでもかけるときには、動悸が早くなってしまうのである。
内向的な引きこもりの人見知りの性格もあるけれど、電話をするときには相手の事情を忖度してしまうので、この時間にかけたらまずいのではないか、などと思い煩うからである。
その点、知人の女性は大阪のおばちゃんのように思い立ったらすぐに行動する。
私ならば電話をする前に話す内容を頭の中で話す順番などをおさらいしてからするのだが、この女性はそうではない。
なので、こちらが理解しているかどうかなどは無視して自分の言いたいことをすぐに話し出す。
この時も、最初は何の話かわからなかったが、よくよく聞き返しながら、理解したことは次のようなことだった。
知人の女性は最近、重症に花粉症に悩まされ、咳が止まらず、呼吸も困難になり、花粉症の薬を飲んでも治らない。
なので、切羽詰まってその対策をいろいろな友人に電話をかけまくって相談していたらしい。
その友人たちの中には、霊能者とまではいかないけれど、そうした能力があるらしい人物がいて、アドバイスを受けた。
それは湿布薬の表面にある文字を書いて、胸に貼ったらいいという、いかにも怪しげなものだったそうだ。
「それで?」
私は答えがわかったので、そう聞き返した。
「それが治ったのよ。翌日、ピタッと咳が無くなったの。すごいでしょ」
その後、いろいろな話をしたが、この文字を書いた湿布の話は気になってしまった。

というのは、文字には無機質な記号という面だけではなく、その文字のもつエネルギーみたいなものを見えない波動のように放っているのではないか、という思いを私が考えていたことがあったからである。
わかりやすい例だと、悪霊のキョンシーが活躍する中国系の映画には、顔に札を貼り付けて跳ぶように走る姿がある。
札に書かれた文字が重要な要素となっていたのを記憶している。
陰陽師が文字の書いた紙の札に文字を書いて式神として使ったり、悪霊を封じるために魔除けの札を家の各所に張り付けたりするシーンも、映画だけではなく、時代小説などでもよく登場する。
これらの文字を使った呪術的なものは、信じるかどうかは別として、やはり書かれた文字に一種の霊的なパワーがあるということを信じていたからだろう。
良い漢字には良いことが起こる力があり、悪い漢字には逆に悪いことが起きる。
日本における習俗である言霊という文化はそうした影響によって維持されてきたのである。
結婚式に使ってはいけない言葉や忌み言葉などは、もともと言葉に霊的な力があるということを示しているといっていいのではないか。
それを拡大していくと、いい言葉を使うと成功する、悪い言葉を使うと、悪いことが起きて失敗するということになるだろうか。
こうした言葉遣いによって人の運命が変わるというのは、オカルトのようなイメージなので、なかなか本気になって実践する人はいないかもしれない。
ただ、言葉による成功哲学というものは、漢字文化圏だけではなく、キリスト教の西洋文化圏にも存在している。
有名な鉄鋼王のカーネギーの成功の哲学も、聖書などの言葉を実践する、言葉によって成功のイメージを浮かべること(人に善をほどこすといった宗教的な精神)から来ているのである。

そういえば、イエス・キリストも「口から入るものではなく、口から出る言葉によって人を汚す」というようなことを語っていた気がする。
ヨハネの福音書にも、「初めに ロゴス があった。 ロゴスは神とともにあった。 ロゴスは神であった」とあるのを見ても言葉が霊的な力をもっていることがわかる。
成功するためには、言葉遣い、良い内容しか話さない。
悪口などは言わない。
だが、そうしたことを知っていても、なかなか実践できない。
人間は理性ではわかっていても、実際の場面では自分の生まれながらの性格が出てきて、我知らずに悪口を言ったりすることが多いのである。
文字の力を信じても、喧嘩腰になって感情的に言おうと思っていなかった罵詈雑言などが飛び出してしまう。
それが人間というものなのかもしれない。
ちなみに、花粉症の咳を止めたという漢字は旧字の「徳」という字である。
誰でも効果があるかどうかはわからない。
知人女性が試したことは民間療法のようなものなので、これが正しいかどうかは私には判断できないのである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)