断捨離と片付け術
世界に影響を与えた女性の一人として、片付け術で「こんまり」こと、近藤麻理恵さんが2015年のアメリカの『タイム』誌に取り上げられたことは記憶に新しい。
「最も影響のある100人」に選ばれたことでもわかるように、アメリカを中心にその片付けのノウハウが本を通して世界中に伝播している。
その片付けの極意というものが、その物を捨てるかどうかのキーワードが「心がときめくかどうか」というもので、これを知った時は、あまりのシンプルさに、そんなことで一冊の本ができるのか、と思ったほど驚いた。
むしろそんなことで片付けられるのか、一種の単なるスローガンではないか、と思ったぐらい。
こんなに世界的なベストセラーになるとは思っていなかった。不明を恥じるしかないが、今でもこれほどのムーブメントになったのか、不思議に感じている。
もちろん、これまでにもブームなった片付けや掃除などの本などがあった。たとえば、『「捨てる」技術』(辰巳渚著)などもそうだし,最近、ブームになっている「断捨離(だんしゃり)」の片付け術も、こうした流れの一つと考えていいだろう。
最初、後者の「断捨離」という言葉を聞いた時、それは何じゃい?と驚いたほど違和感があった。ちょっと普通の言葉ではないし、どこか宗教、仏教的なイメージがして、それと整理・片付けとどうかかわってくるのか、というイメージさえ思い浮かばなかった。
今では、「断捨離」という言葉は、社会的に認知され、誰もが当たり前のように使っている。意味はわからないが、いかにも要らないものを捨てるための言葉として、どこか高尚な印象があって、捨てることの罪悪感を消滅させてくれるものがある。
知人も、最近、部屋を占領していた本を終活の一つとして、大規模に断捨離したと聞いて、少し驚いた。というのも、この知人は、本業は執筆業で、数冊の文芸評論を出し、エッセーも書き、カルチャーセンターの講師などもしているからである。
その活動のためには、膨大な資料と本が必要なことは言うまでもない。ところが、その資料となる本(おそらくは数千冊以上)を断捨離(整理)したというのだから、飯の種を捨てたということになる。
驚いた私は「なぜ?」と聞いても笑って答えなかったが、おそらく知人の周囲の人々の死などを通じて悟ることがあったのだろう。
この知人の断捨離をしても、かなりまだ本の資料があるらしいけれど、同じ本好きとしては複雑な心境だった。というのも、この知人ではないにしろ、狭いわが家にひたすら本を溜めこみ、妻からは「早く捨てなさい」と叱られているからひとごとではないのだ。
断捨離はウィキペディアで調べると、どうやら仏教概念というよりも、ヨーガの行法から来ているらしい。
ヨーガの断行・捨行・離行を応用して、いらないものを捨てることで、物を捨てることで、物への執着から自由になること、それによって快適な生活を獲得するというもので、その理念はどうであれ、こんまりの片付け術と共通するものがある。
それは物と人間が物質的な面だけではなく、心理的・精神的にもつながっているということである。買い集めた物は、ただ単なる物ではなく、買った人間の精神と結びついてるということである。
だからこそ、なかなか捨てられない。捨てることは、自分の一部を捨てること意味しているからである。
しかし、そうであっても、過去のそうした物との思い出や記憶から自由になりたい、新しい出発をしたいという思いがあるから、捨てる技術や片付け術、断捨離などに縋り付いて、その気持ちの後押しをしてもらいたいということなのだろう。
その意味では、片付け術や断捨離は、単なる整理のノウハウではない。技術ではない。生きる指針を与える人生論といっていいかもしれない。
それにしても、物を捨てられないというのは、一種の病気と言える面もある。それが拡大されると、「ゴミ屋敷」状態になる。テレビでゴミ屋敷のことが話題になると、なぜ自分の家だけではなく、そこらにあったゴミまでも自分の家に集めて、巨大な城のような状態になってしまうのだろうと思っていた。
これも、ゴミ屋敷の住人の精神的状態、自分の姿を見られたくない、人間関係を断ち切りたい、だけど、深層心理ではこんな自分を救ってほしい、関わりをもってほしいという心の中の知られざる叫び、悲鳴なのだろうと思う。
こうしたゴミはゴミ屋敷状態では視覚化されてわかりやすいが(ある意味では行政介入などで解決は可能だが)、心の中に巣食って増加する悪意や憎悪、犯罪への傾斜、イジメなどの心のゴミの問題は目に見えないので、なかなか解決できない。
それこそ、そのあたりはやはり宗教がかかわってくる分野になるのではないか。とはいえ、その宗教者自体がさまざまな性的問題を抱えて事件化している現象を見ると、これを解決するのは、まさに心のゴミを片付けできる、断捨離できる新たな真理が現れなければ難しいという気がしている。
(フリーライター・福嶋由紀夫)