【佐賀=鄭憲宇】
7月25日、12連合会では35.6度の猛暑の中、17人(大人13人、子供4人)が佐賀県唐津・鎮西町にある日韓トンネル斜坑現場見学をした。
斜坑現場とすぐ上の方にある平和公園を見回した後、近くにある名護屋博物館と名護屋城址も行ってきた。斜坑現場は現地の事情で工事は休止状態だが現在520メートルまで掘っている。
二酸化炭素の危険があって50メートルまでしか入ることができなかったがトンネルの中は涼しかった。
日韓トンネル財団理事である佐藤博文さんから「トンネルの出発動機が文鮮明総裁によって提唱され、これから日韓両国の国家次元でこの事業を実施しなければならないのであり、私たちはそれを助けるためにすでにすべての準備をつくしておいた」と説明があった。
トンネルの入口で記念撮影をした後、トンネルの上の方にある平和公園を尋ねた。
頂上に上がるときれいな眺めとともに鎮西町が目の前に開かれた。今日は天気が晴れだったので、あの遠く50キロも離れている対馬がはっきりと見えた。
初めて来られた何人かの方々は名護屋博物館を見回しながら、今まで学ぶことができなかった韓日の歴史がよく分かったと驚きながらカメラに歴史的事実と跡を撮った。
名護屋城址では対馬がもっとはっきり見えた。420年前、豊臣秀吉が朝鮮と中国を征伐するために出場基地としてこちら鎮西町に全国の武将たちを集めて、当時30万人口のマンモス都市を造成したと言う。
賛同会員で今日一緒に見学に参加した山本さん(65歳)は、45年前に初めてここに来たが今日平和統一聯合会勧誘でこちらへ来たら、ふと青年時代の感覚がよみがえったと語った。
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