桜つながりで、桜の歌謡曲について書く。
桜の生命は短いけれど、桜の歌はずっと長く愛唱されている。
歌謡曲の中に、桜が息づき、春の空や野山が見えて来るような響きを感じると、昔の青春時代のことが思い出される。
あたたかな風、薄く澄んだ青空、そして芽吹いた木々の緑、少年や少女たちの輝くような姿が浮かんでくる。
かつては、自分もそのうちの一人だった。
未来に希望を抱き、道はどこまでも続いていて、必ず幸福な世界が待っているような錯覚を持っていた。
自分の住んでいる地域とは違った景色をもつ未来。
そこでは、何でも可能で遥かな彼方への扉が開かれていた。
そんな風景が桜の歌謡曲を聞いていると、自然に浮かんでくる。
若さゆえの理由のない自信と過信。
何でも努力すれば手に入るだろうと思っていたあの時期。
そんなものに彩られていた時代は、それほど時間が経たないうちに色褪せてしまったけれど……。
といっても、それほど聞いているわけではない。
好んで聞く歌謡曲を挙げれば、松任谷由実の「春よ、来い」、いきものがかりの「SAKURA」「花は桜 君は美し」、森山直太朗の「さくら」、河口恭吾の「桜」、コブクロの「桜」などがある。
メドレーで聞いていると、桜にまつわる様々な記憶が甦って来る。
桜にまつわる記憶は、卒業式や入学式の出会いと別れにつながっている。
人生という期間の中で、青春時代はまさに桜のような華やかさとはかなさを感じさせる時期である。
桜の歌を聞くと、どこか懐かしく、甘酸っぱく、そして寂しい気持ちになってしまうのはなぜだろうか。
それはあまりにも貴重な時間であるために、失われてしまうと、いつまでも忘れられないからか。
桜にちなむ歌の多くは、出会いと別れがテーマになっている。
特に初恋や初愛の心のときめきと辛い感情のゆれ動きが主調旋律となって、桜の花の姿と重なっている場合が多い。
桜の曲で特に好きなものを挙げるとすれば、何といってもいきものがかりの「SAKURA」「花は桜 君は美し」になる。
この二曲は、どちらも甲乙つけがたい。
どちらをよく聞くかでいうなら、「SAKURA」である。
そういえば、いきものがかりのことを知ったのは、卒業式でよく歌われる「YELL」である。
詞にある言葉「サヨナラは悲しい言葉じゃない/それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL」は、いつまでも心の中にリフレインとして響いているほど。
確かに別れるときの「サヨナラ」は寂しい気持ちが滲む。
「サヨナラ」と告げることは、そこで終止符が打たれるのではなく、次の新しい出会いと成長のための準備であり、お互いの健闘を祈る声援である。
そういうことを「YELL」は訴えて来る。
それは真理であると思う。
確かに、「サヨナラ」を通じてそれぞれが別々の道を歩むことは、人生の通過儀礼であり、そして、新たな精神的な成長をもたらすといっていい。
いつまでも同じ環境に甘んじることは、成長が止まることであり、そして停滞することでもある。
成長はやはり別れることから始まる。
動物の世界では、親がある時期から、子に巣立ちを促し、時には子を見知らぬ敵のように追い立てていく。
子の自立こそが種族としての繁殖と繁栄をもたらす。
親は次の世代のために子離れをする。
それは何も動物の世界だけのことではない。
人類の文明が発達したのも、親とともに住む居住地から旅立ちをして全地球へと広がっていったからである。
旅が文明を作ったといってもいいかもしれない。
そうした旅立ちは、人間の深層心理に埋め込まれたDNAのようなものである。
それは寂しいことだけれど、同時に大人になって新しい家族をつくっていくための準備でもある。
もし、人類がそうした旅立ちをしなければどうなったのだろうか。
おそらく孤立したまま、停滞し、そしてやがては自然に衰退し、滅びていくしかないだろう。
それは孤立した生活圏を守っていた集落をみればいい。
同族同士の結婚によって、遺伝子も劣化したり、異常な常態を生み出してしまう可能性が多い。
だからこそ外界から新しい血を入れていく習俗が生まれた。
その意味では、いきものがかりの「YELL」が歌うように、「サヨナラは悲しい言葉じゃない/それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL」なのである。
長年の同級生たちと別々の人生を歩む。
それが自然な人間の成長過程であり、通過儀礼なのである。
人生が一期一会の出会いと別れに満ちているのは、そのためであるといっていい。
春を迎える自然界も同じである。
秋に落葉した木々は冬という季節の別離を迎え、また春に新しい生命を育む。
毎年繰り返されることながら、実は、その一つひとつが出会いと別れの一期一会の瞬間なのである。
桜の歌を聞くと、そうした自然のサイクル、そして、人間の出会いと別れの一期一会を実感する。
その意味で、国際結婚は人類が新たな成長を生み出すための一期一会の祝祭であるといっていいかもしれない。
未来は、まさに君たちの手のひらの上にあるのだ。
そう思って、今日もいきものがかりの「SAKURA」を聞いている。
(フリーライター・福嶋由紀夫)