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歌の別れと詩歌の世界

 私は青少年期から詩や小説、評論などを書くことをしていて、時々、俳句や短歌も書いていた時期がある。

 自分のことを書くと、少し恥をさらすような気分と自慢話のような臭みがあるので、躊躇してしまうのだが、ふれないとこれから書くことを理解してもらえないかもしれない。

 なので、自分の詩歌の遍歴について書いてみる。

 いつから詩歌や小説や評論を書くようになったのか。

 それは自覚的になったのは、高校生時代の文芸クラブに所属してからだろう。

 部誌を1年に一回発行するので、そこに発表していたことを思いだす。

 小説を書きたいとは思ったものの、なかなか書けないので、詩を書いていた時期がある。

 その後、受験勉強がいやで、そこから逃避するように、本を乱読し、俳句や短歌を地元紙に投稿していた。

 俳句や短歌は短いので、時間をかけなくても投稿できるというのが理由だった気がする。

 地元紙なので、投稿数が少なかったのかどうかはわからないが、何度か採用されて掲載された記憶がある。

 その後、大学では同人誌に所属して、文芸評論を書いていたが、もやもやした気分が晴れず、ひそかに誰にも見せずに小説や詩歌を作っていた。

 そんな時に、誰かの文章か何かで、「歌の別れ」という言葉を知った。

 この言葉を最初に使ったのは、詩人で作家の中野重治だったかもしれないが、よく覚えていない。

 作品も読んでいないので、それについては言及しないが、その「歌の別れ」という言葉だけが強く印象に残るようになった。

 その使われた意味は正確ではないだろうが、私なりに理解したのは、詩歌というのは、叙情であって人の心を鼓舞したり感動させたりするが、現実の政治の前では無力である、だから詩歌から別れて散文にいかなければならない、といったものだった。

 詩歌は無力だが、散文は時代を変える力がある。

 要するに、詩歌は高揚させるが、現実を変えられないということだろう。

 だから時代を変えるためには、詩歌のような韻文から、政治的な力を発揮する散文、すなわち小説や批評のような散文に変わらなければならないというものだった。

 韻文→散文、という流れは文学史においても、日本では小説のような散文は評価されるが、詩歌のようなものは余技のようなもの、一段と表現としては落ちるという受け止め方をされてきた面からも理解できる。

 日本では詩人というのは作家に比べて、知名度がそれほど高くはなく、しかも、詩人だけでは生活できない、詩集などの本が売れない、という現実がある。

 もちろん、こうした評価は、どちらかといえば、日本だけの話というところがあって、世界各国では文学の最高峰は詩であることが多い。

 なぜこのような詩歌の低評価になったのかというと、やはり詩歌は余技であり、本気になり生涯を賭けるのは散文、小説しかないという風潮があったからだろう。

 それは幕末から明治にかけての動乱期が背景になっている。

すなわち革命が起こって、それまでの伝統的精神から抜け出すためには、伝統的な詩歌を革新しなければならないという状況があったとみることができる。

伝統的文化を体現した詩歌は、そのまま封建的なヒエラルキーの象徴であり、それを変えなければ人々の意識を変えられない。

詩歌は新しい表現には耐えられないから、新しい文芸復興の中で、大きく変えられた……正岡子規による詩歌の革新「写生」精神は、単なる文芸運動ではなく、国民精神の革命であったことを知る必要がある。

「写生」というのは、事物を客観的に把握し描写するという文学の運動の一つと捉えられている面があるが、実は本質は「精神革命」なのである。

写生はモノをモノとして写生する。

そこには、伝統的な上下関係はない。

ただモノと自分の距離だけがある。

これはある意味で、封建的な秩序社会、階級社会の否定という側面をもっている。

詩歌が王朝文化や武士文化の中で、その秩序を伝統的維持してきたこと破壊することだからである。

明治維新の文明開化は、伝統文化の破壊を伴っていたことを考えれば、詩歌の革新が言語世界における革命であったことも理解できるのである。

それまで、詩歌は個人の活動というよりも、師匠を中心とした階級社会的秩序によって維持されてきた。

たとえば、有名な話に「古今伝授」という話があり、これは師匠から一子相伝で伝えられた秘密の儀式である。

要するに、古今和歌集の解釈の一つをそうした秘儀化することで、当時の政治体制の中で封建社会的な秩序を維持した。

一子相伝という伝統文化、それが詩歌の中でも維持されてきて、それが正岡子規の詩歌革新によって破壊された。

もちろん、古今和歌集の解釈が一子相伝というのは、本質的には意味があるのかどうかわからないが、いずれにしても、それを成立させた社会の伝統文化が存在していたことを抜きにしては考えられない。

 日本において詩歌が低い評価をされてきた背景には、こうした伝統精神の否定といった明治維新以来の近代化政策が影を落としているのである。

 その意味で、「歌の別れ」というのは、伝統精神、本来の民族の魂の死をも意味していることを知らなければならない。

 今こそ、「歌の別れ」から「歌の復活」という民族の魂を覚醒させる詩歌の興隆が必要であると思う。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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