コロナ禍によって海外への旅が事実上、閉ざされた。
禁止されてみると、かえってその欲望が刺激されるのか、海外の風景などを取り上げたユーチューブなどを見るようになった。
自由であると、何をしていいかわからなくなるが、自由がなくなると、とたんにそれへの渇望がよみがえる。
人間とは、因果なものであるとつくづく思う。
ただ、昔と違うのは、インターネットやテレビで海外の情報が自由に見られることである。
海外の絶景や歴史遺産などを見ながら、バーチャルで旅をしていると、情報が閉ざされていた過去の時代のことが思い浮かぶ。
ペストなどが流行した時代、人々はその原因が分からずに恐怖におののいた。
さまざまな流言飛語が飛び交い、それによって、事件や暴力、理不尽な出来事が頻発した。
イギリスロンドンにペストが大流行した時代(1665年)を題材にしたダニエル・デフォーの『ペスト』を読んだとき、そのリアルさに驚嘆したことを覚えている。
一応、同時代を目撃した人物によるノンフィクションの体裁になっているが、実は聞き書きや調査などによって再現した小説といった方がいいかもしれない。
デフォーが生きた時代は、ペストが終息していたが、その当時の生き残りの人々が存在していた。
それらの人々の体験談を聞きながら、デフォーは小説的な描写で、淡々と出来事をつづり、聞き書きのように再現した。
ただ、どんなミステリーよりも、恐ろしさ、人間の心の闇を浮き彫りにしている。
物語は、主人公がある事情によりペスト禍のロンドンから脱出することをあきらめ、市内を彷徨しながら、そこで目撃した情景を書いている。
そこにはあっという間に死んでいく人々の姿、ペストを奇貨として家に押し入り盗む泥棒、ペストにかかった女中を置き去りにして逃げた家族、病気によって外に出られないように窓や扉を釘で打ち付けて出られないようにした話など、実録としか思えないほど、リアルな描写が続く。
デフォーは良く知られているように、有名な『ロビンソン・クルーソー』の作者でもある。
孤島に漂流したクルーソーの物語は、ノンフィクションのような構成で、読んでいるときにわくわくしたものだが、そうした心を躍らせる能力がデフォーにはあったのだろう。
ところで、ペストなど未知の病気に対して、当時の人々の心理は、さまざまな反応をしめした。
特に、理解できないものに対する思いは、排他的、あるいはその逆の放埓な行動、暴力、そして、宗教的な熱狂を生んだ。
誰もが訳も分からないうちに、熱に促されたように熱狂し、絶望し、そして、怪しげな詐欺にすがったりしたのである。
こうした行動の背景には、医学的な無知があるといっていい。
そうした時代に比べると、現代は科学技術が発展し、メディアも全世界を網羅しているために、情報が閉ざされるということはない。
ペスト禍時代のような極端な暴力や過激な事件などはほとんど起こっていない。
もちろん、中国の上海における強制的なロックダウンによる不満や暴動などは起こっているが、それもコロナという存在を知った上であるので、無秩序な社会の崩壊と動乱といった事態にまではいかないといっていい。
とはいえ、ネット社会には、根拠のないフェイクニュースなどの氾濫もあるので、一概には言えないが、それでもある程度の情報自由の時代の恩恵に浴していることは間違いないのである。
ただ、ネットやテレビの情報は脳内への刺激にはなっても、実体験のような手ごたえや感覚的な満足が得られないための隔靴掻痒的なもどかしさを覚えてしまうことは仕方がない。
特に、行動の自由が効かない状況というのは、精神的な渇望を刺激し、自由に海外への旅をしたいという欲望を掻き立てる。
特に、海外旅行をテーマにしたユーチューブ番組は、コロナ禍という事件に大きな打撃を受けた。
新しい旅をしていないので、情報の更新ができない。
舞台やテレビ出演というものが抑制されたタレントのように、この間の情報発信の機会を閉ざされたのである。
では、彼らはそのような事態にどう対処したのか。
その間、海外旅をテーマにしたユーチューバーたちは、過去の海外旅をもとに解説した自宅ライブや国内旅に切り替えて番組を放映していたのである。
昔のネタを取り上げてやるというのは、常に新しい情報を提供しなければならないユーチューブ番組としては苦しい対処である。
それは、国内旅行に転じたユーチューバーでも、事情はそれほど変わらないといっていい。
テレビでさんざん放映されてきた旅番組の二番煎じ、グルメや温泉の話題を追うばかりで、オリジナリティーが欠如している。
そのために、視聴率のカウントが下降し、マンネリ化をまぬがれない。
海に生息する魚の王者、マグロは常に走り続けないと死んでしまうという。
それと同じように、視聴率を稼ぐためには、ユーチューバーも走り続けなければならないのである。
なので、コロナ禍がようやく少しばかり落ち着いた現在、海外番組のユーチューバーたちは、一斉に日本から海外へ出発した。
ある者は東南アジアへ、ある者はヨーロッパへ、それぞれ空港のゲートを飛び出していった。
その第一声ともいうべき、ユーチューブ番組を見ながら、私は自由な旅を喜ぶとともに、海外との物理的な往来が閉ざされた状況は、単なる問題ではなく、世界の政治や経済に多大な影響を与える要因ではないかと感じた。
今でも泥沼のように継続しているロシアによるウクライナ侵攻という悲劇も、ある意味はコロナ禍という草の根の国民の往来が閉ざされてしまった状況と無関係ではないという印象を持っている。
平和は、政治だけではなく、国民同士の交流による相互理解が大きいということを考えれば、海外旅行の解禁は、希望的な未来への出発ではないか、という思いがするのである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)