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清時代の落第生の第二の人生

 「読書の秋」ということで、思い出したことがある。

 それは、昔かなり熱中して読んだ中国・清時代の知識人で、怪奇な物語集『聊斎志異』を書いた科挙落第生の蒲松齢のことである。

 中国は、官僚登用試験の科挙が出世の道だったので、知識人や大地主、その他の比較的資産のある家では、科挙試験に合格するために、今の受験競争のような試験勉強に明け暮れた。

 試験自体は、広く誰にでも開かれていたが、そのための費用は膨大だったので、貧しい人間が科挙に挑むことは難しかったのである。

 そのあたりの様々な事情、試験における面白いエピソードを含んだ悲喜こもごもの物語は、宮崎市定の著書『科挙』(中公新書)に詳細に記されている。

 この本には、合格するためにあらゆる手段を取り、替え玉受験、わいろ、カンニングなどが紹介されていて、現在の受験に重なるものがある。

 それこそ今の高校や大学受験などとは比較にならないほど、人生の成否を占うものだったので、その真剣度な取り組みは異常なほどだった。

 日本では受験は、それが人生の運命を変えるものにはならないが、科挙はまさに人生を変える一大事だったのである。

 それこそ、不合格で人生をあきらめたり、ドロップアウトして故郷に帰らずに身を持ち崩したりと、様々な事例があった。

 そのために、受験年齢も老若変わらず、白髪で高齢者となっても受験生として科挙に挑んだ話も珍しくはなかった。

 今でいうと、大学試験の会場に老いも若きも同席して試験に臨んでいたのである。

 『聊斎志異』を書いた蒲松齢も、科挙に挑んだ人生を送り、最終的な合格を得ることができずに、浪人人生を送った。

 もちろん、官僚として登用されるためには科挙合格が必須条件だったが、広大な中国・清の領土から人材を選ぶために、試験自体も何度もあって、最終的に中央における試験があり、そのハードルを超えて初めて官僚の道が開かれたのである。

 蒲松齢も、その受験人生を歩み、最初の試験(童試)は合格して秀才となったが、その後の試験はことごとく失敗した。

 官僚になれないので、わずかな財産を食いつぶし、予備校の講師のように教師をやったりしながら生活を営んだ。

 もちろん、結婚もしていたので、安定した生活ではなく、貧しく、そして悲哀に満ちた人生だったかもしれない。

 ウィキペディアには、次のように生涯の一部が記されている。

 「蒲松齢は1640年(崇禎13年)4月16日、山東省(略)に生まれた。

 父親の蒲槃の代には家業が没落し始めており、妾の子として生まれた蒲松齢は家の中でも地位が低かった。

 19歳の時に童試を受け、県試・府試・道試にすべて首席合格して秀才となった。

 しかしその後の郷試にはことごとく落第し、合格せずに終わる。

 46歳になって初めて廩膳生(奨学生)に選ばれ、71歳の時にやっと貢生の名誉を与えられた。

 蒲松齢はわずかな土地を持ち、生涯教師や幕僚などを務めて糊口をしのいだ」

 そうした苦労の多い人生だったために、蒲松齢は鬱々とした日々の中で、自分が見聞きした様々な話をまとめ、筆のまかせるままに、書いたのが怪奇な物語である。

 物語と書いているが、実はこれらの怪異が事実であると思っていたふしがある。

 要するに、聞き書きする物語は、それが事実であるかどうか、ということは抜きにして、不思議な話を集めていたということだろう。

 なぜ不思議な話に興味をもったのか。

 それは本人の資質や性格もあるだろうが、試験に落ち続けた自分というものは、いったい何だろうという疑問、神仏はなぜ自分をこのような目に遭わせるのだろうか。

 そうした人生の運命をつかさどる不思議な存在に関心や興味を持たざるを得なかった境遇にあったのが原因かもしれない。

 人の人生観は、それぞれだが、その核となっているものは、案外、本人の境遇、環境、生い立ち、交友などの実体験が背景にある場合が多い。

 失敗続きの人生であれば、悲観的な人生観を持ちやすく、成功した体験や周囲の愛情や援助が多ければ、肯定的な人生観を抱くようになるだろう。

 その意味では、蒲松齢は自分の人生を神仏や鬼神、奇跡的な出来事に求め、運命は生まれる前から決まっているというような人生観を抱いていたのだろう。

 ただ、そうした人生を歩む人は少なくないが、蒲松齢が違うのは、文筆の才能があり、単純な話でも、表現一つで華麗な短編小説に仕上げることができたことである。

 そして、この余技的な文筆活動によって徐々に世に知られるようになっていった。

 科挙は失敗続きだったが、代わりに神仏が作家としての才能を付与してくれたと言えるかもしれない。

 その蒲松齢の作品の中には、自分の願望を投影したような話がある。

 昔読んだので詳細は忘れてしまったが、あるところに幼少のころから本好きで、本だけを読んでいれば満足という青年がいた。

 もちろん、読書好きというのは、それを読んで勉強すれば、科挙に合格して官僚となり、立身出世して財宝も良家の娘との結婚も夢ではないということがあったからである。

 だが、この青年は、読書は好きで熱心だったが、残念ながら頭の出来はそれほどではなく、なかなか覚えられず、ただ本を読み続けた。

 読書家の中には、こうしたタイプの人がいて、読んだ本の数を誇る人がいる。

 だが、問題は数ではない。

 どれほど内容を理解し、それを自分なりに咀嚼し、自己表現として用いることができるのか、そういうことが必要なのである。

 要するにインプットだけではだめで、アウトプットしなければ本当の意味で、自分のものとはならない。

 それを悟れない青年はひたすら読み続け、勉強し続け、本を読めば、そこに金銀財宝や素晴らしい結婚相手がいると信じ続ける。

 官僚になれば、財産や名誉、良家との縁を結べるということを比喩的に、本の中にそうしたものが隠されていると表現した言葉である。

 だが、頭の弱いこの青年は、文字通りに本の中にそうしたものがあって、それを本を読むことによって得られると思い込んだのである。

 実際は、ふつうはそうならないのだが、蒲松齢はこの青年の元に、本の中から女性が現れて来るという話を書いている。

 まさに怪奇な話なのだが、これは落第生として悲哀の人生を歩んだ蒲松齢自身の願望が投影されている気がする。

 苦しい浪人生時代、何もないむなしい絶望の時代、希望と夢だけに縋りついていた人生がそこから垣間見える。

 私も大学受験に一度失敗し、浪人の人生を歩んだので、蒲松齢の落第人生に共感するものがある。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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