牛を愛せば牛が見える
目に入るものはすべてを知り尽くして初めて満足する性格だったので、何でも大まかに知ってそれで終わりということはありませんでした。「あの山の名前は?あの山には何があるのだろう?」という疑問が浮かぶと、必ず行ってみたものです。幼い頃、二十里 (約八キロメートル) 四方にある村々の山の頂という頂には全部登ってみました。その山に行く途中も行かない所がありませんでした。そうやってこそ朝日が照らすあそこに何があるかを心に思い浮かべ、心置きなく眺めることができるのであって、分からないと眺めるのも嫌になります。目に入るものは、その向こう側にあるものまですべて知らなければ気が済まず、我慢できませんでした。
ですから、山に行って触ってみなかった花や木がありません。目で見るだけでは物足りず、花も木も触ってみたり、匂いを嗅いでみたり、口に入れてみたりしました。その香りと食感があまりに心地良くて、一日中草木の匂いを嗅いでいなさいと言われても嫌ではありませんでした。良き自然に魅了されて、外に行けば家に帰るのも忘れてしまい、野山を歩き回りました。太陽が沈んで薄暗くなっても恐ろしいとは思いませんでした。
姉たちが山菜採りに行く時は、私が先頭になって山に登って、山菜をもぎ取りました。おかげで、味が良くて栄養価のある青菜も種類別に全部分かるようになりました。その中で、好物と言えば苦菜です。薬味を加えた醤油で和えて、ビビンバに入れてコチュジャンと混ぜて食べると、味が一級品でした。苦菜は、食べるとき口に含んでちょっと息を止めます。そうやって一呼吸置いてよく蒸らすうちに、苦菜の苦味が消えて、口の中に甘味が染み出してきます。そのコツがうまくつかめると、非常に美味しく苦菜を食べることができます。
木登りも好きで、わが家にあった樹齢二百年の大きな栗の木を登り降りしました。村の入り口の外まで大きく広がった展望がどれだけ素晴らしいことか。木のてっぺんまで上がって、いつまでも降りようとしませんでした。
ある時、夜中まで登っていたら、すぐ上の姉が眠らずに私を捜しに来て、危険だと大騒ぎしたことがあります。
「龍明、お願いだから降りてきなさい。夜遅いから、早く戻って寝なければ」
「眠くなったらここで寝ればいいよ」
姉に何を言われようと、私は栗の木の枝に座ってびくともしません。すると、腹を立てた姉が怒鳴りました。
「こら、猿!早く降りてこい!」
私が木登りを好んだのは申年生まれだったせいかもしれません。
栗の木に毬栗が鈴生りに垂れ下がるようになると、あっちの木こっちの木と、折れた木の枝を使って毬栗をゆらゆら動かして回りました。毬栗がぽとぽと地面に落ちていくので、この遊びも本当に面白いものでした。都会暮らしの最近の子供たちがこういう面白さを知らないのは実に残念なことです。
自由に空を飛び回る鳥も私の関心の対象でした。なかなかきれいな鳥が飛んでくると、雄はどうなっているのか、雌はどうなっているのかと、実地にいろいろ調べて研究しました。その頃は木や草や鳥の種類を教えてくれる本がなくて、自分で詳しく調べてみる以外方法はなかったのです。渡り鳥の後を追って山をあちこち捜し回ろうとし、おなかが空いても気になりませんでした。
ある時、カササギがどうやって産卵するのかひどく気になって、朝な夕なカササギの巣がある木を登り降りしました。毎日のように木登りして観察したので、実際に卵を産む場面も見たし、カササギとも友達になりました。
「カッカッカッカッ」
カササギも初めは私を見ると、しきりに鳴いてやたらと騒いだのですが、後になるとじっとしていました。
周辺の草むらの虫も私の友達でした。毎年夏の終わり頃になると、私の部屋の前にある柿の木のてっぺんでヒグラシが鳴きました。夏の間中ミンミンミンと耳痛く鳴いていたセミの声がぱったり途絶えて、ヒグラシが鳴き始めると、どれだけほっとするかしれません。もうすぐ蒸し暑い夏が去り、涼しい秋が来るという季節の変わり目を告げる鳴き声だったからです。
「カナ、カナカナカナカナ」
そうやってヒグラシが鳴くたびに、私は栗の木に登って考えました。
「そうだな。穴に入って鳴いたって誰も気がつかないさ。やっぱり、どうせ鳴くなら、ああいう高い所で鳴いたら村の人みんなに聞こえていいよなあ」
ところで、分かってみると、ミンミンゼミもヒグラシもすべて(人に聞かせるためではなく)
愛のために鳴くのでした。ミンミンミンもカナカナカナも鳴き声は皆、連れ合いを呼ぶ信号だと知ってからは、虫の声が聞こえるたびに笑いが込み上げました。
「そうか、愛が恋しいというのか。熱心に鳴いて、素敵な連れ合いを見つけろよ」
このように自然界の生き物と友達になって、彼らと心を通わせる方法を少しずつ悟っていきました。
故郷の家から十里(約四キロメートル)西に行くと黄海です。少し高い所に登るだけで広々とした海が見えるほど、海は近くにありました。溜め池がいくつもあって、そこに小川の水が流れ込んでいました。下水のにおいがする池に入り、中をあさって、ウナギとカニを上手に捕まえたものです。池の中のあらゆる場所を探って魚を捕まえてみると、どこにどんな魚が棲んでいるのかよく分かりました。ウナギはもともと広い所に腹ばいでじっとしているのが嫌いで、穴に隠れます。頭を穴に押し込んでも、長い体を全部は入れることができず、尻尾がちょこっと出ているのが普通です。その尻尾らしきものを口で噛んで捕まえれば間違いないのです。カニの棲む穴のような所に、ウナギは尻尾を出してじっと潜んでいました。わが家に来客があって、お客様がウナギの煮詰めたものを所望されたときは、十五里(約六キロメートル)の道をぶっ通しで走っていってウナギを五匹ほど捕まえてくるのは訳もないことでした。夏休みになれば一日に四十匹以上、いつも捕ってきたからです。
私が唯一嫌だったのは、牛に牧草を食べさせることでした。父から牛に食べさせてこいと言われると、向こう側の村の野原に牛をつないでおいて、その場から逃げてしまいました。しばらくの時間逃げて、心配になって戻ってみると、牛は相変わらずその場所につながれていました。半日近く過ぎても自分に食べさせてくれる人が来なければ、牛はモーと鳴きます。遠くで牛の鳴き声が聞こえてくると、私はいたたまれなくなって、「牛の奴め。あいつめ、あいつめ……」と言って苛立ちました。おなかが空いたと私を捜して鳴く声を、気にしないようにしても気になって仕方がなく、胸がつぶれる思いをしました。それでも、夕方遅くに行ってみると、怒って角で私を追い返そうとすることもなく喜んでいました。そんな牛を見るたびに、人間も大きな志の前では牛と同じでなければならないと考えました。愚直に時を待てば良いことに出会うようになるものです。
わが家には、私がとてもかわいがっていた犬がいました。利口な犬で、学校から戻ってくると家の外の遠くまで迎えに来ました。私を見つけるとうれしそうにするので、いつも右手で触ってやりました。そのせいか、犬がたまたま私の左側に来ても、さっと回って右側に来て、私に顔をすりつけてきます。そのときは右手で顔を触って顔や頭をごしごししてやり、背中を撫でてやりました。そうしないと、キャンキャン吠えては付いてきて、私の周りをぐるぐる回るのです。
「こいつ、愛が何であるのか分かるのか。それほど愛がいいのか」
動物も愛を知っています。雌鶏が雛をかえすために卵を抱いている姿を見たことがあるでしょうか。卵を抱いた雌鶏は、深刻そうな目をして、誰も近くに来ないように足を踏みならして、一日中座っています。雌鶏が嫌がるのは承知の上で、私は鶏小屋を随時出たり入ったりしました。入っていくと、雌鶏は怒って、首を真っすぐに立てて私を睨みつけます。私も負けじと睨み返します。あまり頻繁に出入りしたので、後になると、最初から私を相手にしなくなりました。しかし一度だけ、神経が高ぶったのか、卵を守ろうと足の爪を長く伸ばして、ピューンと飛んで私をつつこうとしたことがあります。結局、卵が気になってその場を離れられず、徒労に終わりましたが。
卵を抱いた雌鶏は、私がわざと近くに行って羽を触ってもぴくりともしませんでした。おなかの羽毛が抜けてしまうほど卵を守って座り続け、やがて雛を誕生させます。そうやって母子が愛でしっかりと一つになっているので、卵を抱いた雌鶏の権威の前では雄鶏も好き勝手なことはできません。「誰であろうと、ちょっとでも触ってみろ。黙っちゃいないぞ!」という天下の大王の権威を持っているのです。
雌鶏が卵を抱いて守ることが愛であるように、豚が子を産むことも愛です。豚が出産する様子も見守りました。親豚がウーンと稔って力むと子豚がつるっと落ち、またウーンと捻って力むとつるっと出てきました。猫も犬も同様です。目も開けられない動物の子供たちが、ウーンと力むたびにこの世界に出てくるのを見ると、うれしくて自然と笑みがこぼれます。しかしながら、動物の死を見るのは実に悲しいことです。
村から少し離れた所に屠畜場がありました。牛が屠畜場に足を踏み入れると、白丁(屠畜などに従事する当時の被差別民)が出てきて、腕ほどの太さの金槌で牛をドーンと一撃します。大きな牛がばたりと倒れて、すぐに皮を剥ぎ、足を取り外します。足を取り外した後でも、切られた箇所がずっとぴくぴくしているのです。生命が死にきれなくて生きているのです。それを見ると涙があふれて、わんわん泣きました。
私は幼い時から人並み外れているところがありました。神通力があるかのように、人々が知り得ないことをかなりよく言い当てました。幼い頃から、「雨が降る」と言えば間違いなく雨が降ったし、家の中に座って「あの上の村の誰々お爺さんが危ないだろう」と言えば、そのとおりになりました。そんな能力があったので、七歳の時から村々で見合いをしてあげるチャンピオンになりました。新郎と花嫁の写真を二枚だけ持ってくればすべて分かりました。「この結婚は良くない」と言ったのに結婚すれば、全部壊れてしまいました。そのように良縁を結んであげることを九十歳になるまでしたのですから、その人が座ったり、笑ったりするのをさっと見ただけで、すべて分かるようになりました。
姉が今何をしているのかも、集中して思念してみるとすべて知ることができました。精神を統一し、集中して思念すれば、全部分かりました。ですから、姉たちは私を好きでありながらも、一方で私を恐れました。私が彼女たちの秘密を何でも知っていたからです。凄い神通力のように見えますが、実際のところ、これは別段驚くようなことではありません。取るに足りない蟻でさえも、梅雨の始まりを知って前もって避難するではありませんか。人間も自分の行く道を先んじて知らなければなりません。それを知るのはそれほど難しいことでもありません。カササギの巣を詳しく観察すれば、風がどこから吹いてくるかを知ることができます。どこからか風が吹いてくれば、カササギはその反対側に入口をさっと作っておきます。木の枝をくわえてごちゃごちゃと絡み合わせた後、雨水が入らないように巣の下と上に赤土をくわえてきて塗ります。そうしてから木の枝の端をすべて一つの方向に揃えます。家の軒のように雨水が一箇所にだけ流れるようにするのです。カササギにもこれだけの生きる知恵があるのに、人間になぜそういう能力がないのでしょうか。
父と一緒に牛の市場に行って、「お父さん、あの牛は良くないから買っては駄目です。良い牛はうなじがしっかりして、前足が立派で、後ろと腰ががっしりしていなければならないのに、あの牛は全然そうじゃない」と言えば、必ずその牛は売れませんでした。父に「おまえはそんなことをどうやって知ったのか」と言われたので、私は「お母さんのおなかの中で学んで生まれました」と答えました。もちろんそれは、そんなふうに言ってみただけです。
牛を愛すれば牛が見えるのです。この世で最も力強いのが愛であり、一番恐ろしいのは精神統一です。心を落ち着かせ静めていくと、心の奥深い所に心が安らぐ場があります。その場所まで私の心が入っていかなければなりません。心がそこに入って眠って目覚めるときには、精神がとても鋭敏になります。まさにその時、雑多な考えを排除して精神を集中すればすべてのことに通じます。疑問に思ったら、今すぐにでもやってみたらよいでしょう。この世のすべての生命は、自分たちを最も愛してくれるところに帰属しようとします。ですから、真に愛さないのに所有し支配することは偽りなので、いつかは吐き出すようになっているのです。
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