9月6日、平和統一聯合第11連合会が「禹煕承先生と行く 韓国歴史探訪の旅」を開催。参加者は熊本、宮崎、鹿児島から集った会員ら30名余り。同会員らは、鹿児島県の西南端にある南薩摩市の坊津町から西海岸に繋がっている南薩摩海道に沿って北側に約60Km余りの旅を乗用車で移動。途中、太初の神秘を含んだ原始林やリアス式海岸の秀麗な海の景観を味わいながら、先祖の跡をたどり、日本建国の神話に隠れている韓国との歴史的な縁を学ぶ旅となった。
6日午前10時半、鹿児島県事務所にて探訪の出発式が開催。任貞淳さんの司会のもと、安正敏連合会事務局長の歓迎の挨拶と池田幸一世界平和連合鹿児島県事務局長の現況報告、各県の韓国婦人会長の挨拶、ゲストとして招聘された禹煕承忠清南道事務所所長と忠清南道道庁から日本に訪問した公務員2名の挨拶があった。
禹煕承忠清南道事務所所長は、「歴史の香り」というテーマで「韓国と日本は葛藤と紛争の歴史から、共同の課題を中心に和合の道を探さなければならない」と主張。今回の歴史探訪も韓日間の和合と理解のための探訪になるように意味を語られた。
12時10分から午餐会。在日韓国人1世の新井さんが鹿児島訪問を祝し、祝歌を熱唱。これに熊本市西福寺副住職 浦田さんが雰囲気を盛り上げ、宋東姫鹿児島婦人会長によるチャンゴ伴奏で参加者の心が一つになった。
午後1時半、同参加者はそれぞれ5台の車に乗り、冨山平和統一聯合鹿児島県会長を中心に集会場所から約60km余りの南薩摩市の坊津町に向い、現在小学校内に位置している真言宗如意珠山一乗院跡を訪問。
百済の僧で日本人の日羅(にちら)が仏教を広めるため、建立したのが一乗院であり、その末寺は薩摩大隈の国内47ヶ寺、坊津でも18ヶ寺あったと言われる。日羅上人は自ら仏像三体を刻み、上中下の三坊舎を設けて安置した。「坊津」の名称は、これに由来。
一乗院は、江戸時代には薩摩藩の保護の下 その勢力が隆盛だったが、明治2年に政府の廃仏毀釈とともに姿が消えた。寺の数多くの宝物も遺失されたと言う。現在は仁王石像1体が校庭内に、歴代の住職たちの遺骸が学校の後ろに眠っている。
午後3時20分、参加者らは坊津歴史資料センター輝津館に向った。専門学芸員が坊津の歴史的背景と一乗院の背景を1時間にわたって説明。
歴史資料博物館の前の海にある双剣石が日本の観光名所として政府から指定されたという事を教えてくれた。
その後、中国僧侶である鑑真記念館に向った。鑑真記念館のそばには映画「007は二度死ぬ」の撮影地で有名な所もある。
次に参加者達は、笠沙美術館に向った。美術館の屋上から見える海の景観は秀麗で酔うようだった。西の方に歴史資料博物館の後に回る風車の羽は異国的な風景だった。海と島、そして海岸の絶景が絶妙に調和され、いっそう芸術的な価値がある。
その後、参加者らは黒瀬海岸に向った。黒瀬海岸は天孫降臨と知られている瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が上陸したという伝説がある所。瓊瓊杵尊は日本の建国神話に出る人物で天照大神の孫。日本初代天皇である神武天皇の曽祖父で古事記、日本書紀に記録されている。ところでこの瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が伽揶国の金首露王(キムスロワン)の子孫だという話があり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祭っている神社が全国に散在している。
次に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)の銅像がある金峰町の公園を観光。銅像は1998年10月に建てられていて、神話と町の住民の心を連結する一つの象徴的表象で地域の観光名所になっている。ここで参加者は別れの挨拶をして、韓国歴史探訪の日程を終えた。
記事一覧