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第二回 欧亜を結ぶ日韓のトンネル

 

元特派員(バーレーン、トルコ)。UPI通信社・元東京支局長。
現在、一般社団法人「平和政策研究所」主任研究員。 山崎喜博

 トルコが位置する一帯は、地理では「小アジア」と呼ばれ、アジア大陸と欧州をつなぐ半島状になっている。この二大陸をつなぐイメージを端的に表わしているのが、トルコ最大の街イスタンブールだろう。何しろ、この街の欧州側とアジア側が、ボスポラス海峡によって分けられているからだ。

 市街を川が流れることで独特の印象を与える街は少なくない。しかし大陸間の海峡が市内を流れる、という地形は、それでなくてもエキゾチックなこの街に、いっそう絵画的な見栄えを与えている。多少の誇張を許してもらえば、どこを見ても絵になるのだ。

 同じ海峡の街ということもあってか、下関市はイスタンブール市と1972年に姉妹都市になった。その際に作られた日本公園には茶室なども設けられ、約百本の桜の苗木が日本から贈られて、春には市民を愉しませている。

 この公園からそう遠くない地点に、ボスポラス海峡を結ぶ二番目の吊り大橋が架かっている。1988年に日本の借款と日本企業の努力もあって完成した。一番目にできたボスポラス大橋は英国が関与して、1973年に完成。それまでフェリーボートに依存していた海峡間の交通を激変させた。この二本の大橋は自動車専用だが、三番目の大橋が鉄道・道路併用で2016年に開通している。

 ところでイスタンブールは百年ほど前まで、現在の国境線で25か国以上の領域を治めたオスマン帝国の首都だった。その臣民が抱いた夢は、海峡の両側を陸続きにしたいということだった。大型吊り橋の技術などない当時、トンネルを掘るほうが実現性が高く見えたに違いない。設計図まで作成されたが、以来、見果てぬ夢のままだった。

 その「トルコ百五十年の夢」を叶えたのが日本と韓国だった。まず2011年までに、日本の大成建設が主体となった事業体が、海峡の底にトンネル状の箱を沈めて定着する沈埋工法によってトンネルを敷設した。世界でも有数の速い潮流と闘う難工事だった。このトンネルに地下鉄「マルマライ」を開通させた祝典は、トルコのエルドアン首相(現大統領)と日本の安倍首相が一緒のお祭りになった。

 この式典で安倍首相は、日本からトルコを通じロンドンに至る鉄道網を作りましょう、とぶち上げた。安倍首相ならずとも、大陸が接するような場所に立てば、世界を結ぶ着想が湧いてきやすいのかも。読者諸氏もボスポラス海峡を臨みながら、アジア側またはヨーロッパ側を眺望してみては如何?

 海峡を通る地下鉄交通がすっかり日常化した2016年までに、今度は韓国のSK建設がトルコ企業と合弁で、全長5.4キロメートルの「ユーラシア・トンネル」を完成させた。SKグループの建設部門であるSK建設は、世界最大規模の掘削装備を持ち込み、4年近いトンネル工事をやり遂げた。

 このトンネルを通じた自動車道のおかげで、それまで海峡の向こう側に行くには、上述の二本の大橋を渡るしかなく、渋滞時には一時間を要した。それが10分足らずで到着できるようになった。

 二本のトンネルによる地下鉄と自動車道のおかげで、イスタンブールの欧州側とアジア側が実感的に一つになり、市内の距離感はぐっと近く、一大都市圏の機能が発揮されつつある。この大きなステップに、日本と韓国のインフラ技術が直接貢献した。これまた経済の必然か、単なる運命のいたずらか、それとも天の配剤か。 

 ちなみに、ボスポラス海峡の海底を歩いて渡るトンネルの建設が間もなく始まるようだ。

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