感激の南北統一の巻紙と共に、南北平和統一を願う
<記念写真>
2009年8月9日半田市福祉文化会館講堂にて、愛知県連合会南愛知支部が平和大使協議会、ピールキングコリア(旧ワンコリアフォーラム)らが実行委員会となり、「東海知多半田韓国朝鮮人殉難者の慰霊祭と南北平和統一の祈願祭」を開催。晴天のもと、地元の方々や会員ら160人以上が参加した。
初めに、半田市の中島飛行場で徴用工として働いていた韓国朝鮮人らが空襲で犠牲になった内容と、昨年までの祈願祭の歩みがビデオ上映された。
その後、南愛知韓国婦人会を中心とする「ライラックの会」のメンバーによる慰霊歌。この地の殉難者のほどんどが北朝鮮出身で、彼らの望郷の思いを慰霊するために「ふるさと」「故郷の春」が歌われた。
<ライラックの会 慰霊歌>
続いて、三浦久男副実行委員長による主催者挨拶。挨拶では、南北平和統一祈願祭を行ってきた動機について触れた。「牛馬以下の扱いを受けた殉難者らが、ある霊能者に現れて恨みを訴えてきたことから、この慰霊祭が始まっていった。」という。
次に、金渙(キム・ファン)韓日文化研究所長による来賓挨拶。殉難者の立場に立って、この祈願祭に対しての感謝の意を述べた。
<金渙(キム・ファン)韓日文化研究所長>
総連系・民団系・日本人代表3人の献花に続き、宗教者の祈りとして福崎聖剛統一教牧師が祈りを捧げた。
<代表3人による献花>
<牧師による祈り>
その後、松田泰正平和大使協議会東海支部代表による慰霊の辞。松田氏は「ちょうど8月9日は長崎原爆の日です。天主教の浦上聖堂の真上に投下され八千名以上の浦上の人達がなくなりました。人々は耶蘇を信じるから天罰が下ったと言いました。しかし合同葬の時、天主教の永井隆という神父は、『悪の世を終わらせ平和をもたらす、最も清き祭物として浦上の人達が選ばれたのです』と語ったそうです。この地の殉難者の人達は平和を愛する白衣の民族である韓国朝鮮人であり、しかも未婚の若き青年男女でありました。人間的にみるとあまりに悲惨な死に方ですが、天から見ると、戦争を終結させ祖国に光復をもたらす最も清き祭物となったのです。」と語った。
<慰霊の辞>
続いて、美浜町のつばき寺住職がお盆時期の多忙なスケジュールを調整し参加され、殉難者の名前を一人一人読み上げながら読経した。会場では多くの参加者が読経の声に涙を流した。
<つばき寺住職による読経>
その後、全体献花、南北統一式と式典は進んだ。民団系代表と総連系代表が共に紐を引き、クス球が割れ、「南北統一」と書かれた巻紙が降りてきて、会場は感激の思いに満ち溢れ拍手がわきあがった。参加者が手をつなぎながら「統一の歌」を歌い、閉会を迎えた。
<南北統一式>
第二部の懇親会では、韓国婦人会が真心込めて作った供え物を下げ、参加者で味わった。2日前に誘われて、初めて参加した在日韓国朝鮮人の婦人が、この祈願祭の席で友人と十数年ぶりに出会い、昔話に花をさかせていたのが印象的であった。
<懇親会>
(FPU南愛知支部事務局)