韓半島平和統一の道筋を探るために専門家を招いて学ぼうと第6回目の講演会が7月9日、広島市西区民文化センターで行われ、会員ら約60人が参加しました。今回のテーマは「日本の戦後処理と歴史認識」「日本の韓国支配と古代史」。講義をまとめた上で講師は「これからは日本の歴史学者と韓国の歴史学者が仲良く日韓史共同研究が必要」と訴えました。
韓半島平和統一の道講演会メモ
日本の戦後処理と歴史認識
韓国側 戦前の日本の植民地政策に対する態度は、
武力支配で「謝罪ありの日本の賠償」を
中心とした補償方式
日本側 謝罪なしの経済協力による補償
※ 根底に「日本の韓国支配は武力支配だ」とする韓国側と、「日韓併合は日韓の条約」とする日本側の違いがある。
ヨーロッパの植民地政策と日本の植民地政策の違い
日本は韓国を植民地化するため、韓国人官僚要請の為の教育を施した。それも15年から20年かけて韓国の近代化の波の中に近代化をめざす閣僚の要請を目指した。そのため「韓国近代化学校」を日本の資金で建設した。これにともない、親日派の官僚を養成できた。官立では「官立法官養成所」。私立では日本政府補助金と日本の政財界寄付金により建てられた「京城学堂」などがある。
日本の韓国支配と古代史
日本帝国が韓国を植民地統治する時代に、日本側は『古代の日韓関係の復帰』と『同化政策(日本人化)』を勧めていた。しかし、歴史的な流れから言うと、日本の古代史は韓国からの帰化人、特に百済の影響を受け、当時の日本に大きな影響を与えている。主なものは日本書紀の編纂や奈良の大仏建立など。詳しくは奈良の大仏鋳造や金箔の提供など。また日本の古代史を書いた「日本書記」も亡命百済人が編纂していると言う。