岡山県本部では、9月22日、県本部結成11周年を記念して、鞆の浦歴史探訪日帰りバスツアーを企画、会員の方々を中心に79名が参加し、朝鮮通信使に関する歴史と幕末の坂本龍馬に纏わる歴史に身近に接しました。
1号車には県議の河本勉FPU岡山会長他、韓国教育院朴大虎院長ご夫妻、許東郁民団岡山県本部元団長、鄭采連民団岡山県本部元婦人会会長、廣畑周子瀬戸内牛窓国際交流フェスタ実行委員会会長といった方々が同乗して鞆の浦(広島県福山市)に向かって出発しました。
室町時代、倭寇に拉致された母親に会えるかもしれないという秘めた思いを胸に、朝鮮通信使として来日した李藝のドキュメント映画を上映し、江戸時代(新将軍襲封時等に12回来日)だけではない朝鮮通信使に対する理解を深めました。
到着後、1号車の参加者は、早速江戸時代の朝鮮通信使が牛窓に立ち寄る前に寄港した際、迎賓に使われた鞆の浦・福禅寺対潮楼を訪問。朝鮮通信使高官らの衆議によって「日東第一形勝」(日本一の景勝)と讃えられた小雨の中に浮かぶ美しい景色を眺めました。
一方、この対潮楼は、才谷梅太郎と名乗った坂本龍馬が、日本で初めての国際法に基づく海難事故の補償交渉を行った場所でもありました。さらに、そこには坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟など維新当時の錚々たる人物たちが一堂に会して写った、日本最初の従軍カメラマン上野彦馬が撮った写真のコピーが展示されていました。この交渉期間中、龍馬が宿舎に使った枡屋清右衛門宅の隠れ部屋を見学。部屋の壁は当時のまま残されており(この7か月後に龍馬は京都で暗殺された)、一気に歴史を遡ったような気持ちになるものだった。
江戸時代の香りが漂うような街並みを散策しながら、龍馬が組織した海援隊が乗って紀州藩の船と衝突して沈没し、近年海底で発見された「いろは丸」の遺物を展示したいろは丸展示館を見学しました。2号車の参加者は、逆に龍馬の隠れ部屋から対潮楼を訪ね、最後はいろは丸展示館で合流するコースを辿って歴史を探訪し、ゆったりとした自由時間も過ごしながら帰りのバスに搭乗しました。
帰りの車中では、歴史探訪ツアーの余韻に浸りながら、それぞれに懐メロを皆んなで歌ったり、韓国女性が歌を披露したりして楽しい親睦と交流の時間を持ちながら岡山に到着しました。