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続・富士山という象徴的な風景

 富士山は、日本人ならば一度は登ってみたい山である。

 私も、20代の時に登ったことがある。

 だが、あれは富士山に登ったと言えるのだろうか。

 本当に登ったといえるのかどうか、今でも自問自答したくなる登山体験だった。

 早朝、まだ闇が濃い空の中で、私はアルバイトの新聞配達仲間と配り終えた後、自家用車などに各自便乗して富士山へ向かった。

 なぜ富士山かというと、販売所の当時の責任者というか、グループのリーダーが富士山に登ることで、夏のレジャーを満喫するという目的を掲げていた。

 その実、単に自分が登っていなかったので登ってみたいということが動機であったかもしれない。

 富士山に登ったのか、というのは、山の話が出たときの定番だったから、登っていないというのは引け目に感じていたことがあったのかもしれない。

 だが、この登山の話が出たときには、「え、今さら」「海水浴の方がいい」「温泉」などといった話が出たことを覚えている。

 聞いてみると、富士山に登ったことないというのは、私を含めて数人だけ。

 そうした消極的な雰囲気だった。

 盛り上がっていたのは本人だけで、私も含めて同僚達はあまり積極的ではなかった。

 それはそうだろう。

 富士山登山は、誰もがやってみたいと思っているレジャーなので、友人知人、家族旅行などで登ったことがあるというのは普通だったからだ。

 登っていないのは、私のような貧乏学生で体力にも運動にも自信のない人間か、あまり友人のいない学生時代を送った陰キャだけだろう。

 特に、新聞配達は、眠い時に起きて、自転車をこぎ、走って新聞を配るという重労働なので、終わった時にはひと休みしたい、二度寝したいという生理的欲求に強烈に駆られてしまう。

 とても、それから山に登るというような運動はしたくない。

 なのだが、その時の責任者は強硬だった。

 「眠いのは分かっている。だが、大丈夫だ。自動車に乗って移動している時に眠ればいい。睡眠しているうちに、富士山に到着する」

 なぜそれほど富士山登山に執着したのか。

 そのあたりは当時20代の若者だった私にはわからないが、おそらく経営者仲間や社会人仲間との何か大人の事情があったのだろう。

 かくいうわけで、各自乗り気ではなかったものの、決行当日がやって来た。

 私は出来ればリタイアしたかったが、それでも心の中で、「人生に一度は富士山に登るのもいいかもしれない」という思いもあった。

 だが、最後まで登り切れるのだろうか、という不安も大きかった。

 新聞を配り終えて、待ち合わせ場所に行くと、既に自動車がスタンバイしていた。

 私が一番最後だったようだ。

 それで、乗り込むと、「悪いけど、もう出発時間だから、ここで朝食を取ってくれ」と、おにぎりを2個わたされた、

 もう同僚達は販売所で食い終わったのだろう。

 既に座席でいびきをかきながら眠っていた。

 私はスタートした車の座席で、おにぎりを食べながら、振動で少しばかり米粒をこぼした。

 いつのまにか眠っていたのだろう。

 肩を強くゆすぶられて眼が覚めた時には、富士山の何合目かあたりの駐車場にいた。

 外に出て、こわばっていた手足を伸ばしたが、周囲は少しばかりもやがただよっていた。

 あまり人の気配はそれほどなかったのを覚えている。

 今から数十年前の話だから、今のような富士山の登山ブームではなかったこともある。

 責任者は張り切っていて、「よし出発だ!」と叫んだ。

 「第一陣には負けるなよ」

 第一陣というのは、配達をしていない内勤の人や責任者の家族、そして友人などが先に出発していたのだ。

 無茶な話である。

 それを聞いた同僚の中には、マラソンでもするかのように走り出した。

 それにつられて私たちも登り始めたが、背中に荷物を背負っていたこともあって、しばらくすると、息が上がって来た。

 それでも、「第一陣には負けるな」と責任者は意気盛んで、叱咤激励を繰り返した。

 その甲斐もあったのか、しばらくすると、先に出発した第一陣に追いついた。

イメージ:富士山登山道

 何しろ第一陣は、休み休みしながら、体力を温存し、間食や水分補給しながらゆっくりしたペースで登っていたからだ。

 駆け足で登って来たので、それは追いつくはずである。

 私は、その時はもはや体力の限界で、背中に背負った軽い荷物さえも、重いダンベルのように感じて、今にも倒れそうだった。

 呼吸困難まではいかないが、息が満足にできず、目の前のものもよく見えないほどだった。

 休憩時間には、横になってしまう位疲れ切っていた。

 到底、頂上までは行けないと覚悟した。

 その時、「これを齧りなさい」とレモンを渡された。

 歯で皮ごと齧ると、皮膚の細胞のすみずみまで、レモンの精気が広がっていくようだった。

 そこで、ようやくあたりを見回す余裕ができて、これまで登って来たところを振り返ると、雲海の合間からはるか下界の世界、街や野原や川、道路などがミニチュアのように見えた。

イメージ:富士山雲海

 冷気も襲ってきた。

 その時は、まさに鳥肌が立った。

 富士山が、なぜ日本人の心の山なのか、なぜ惹きつけてやまないかのか、魂からわかったような気がした。

 まさに富士山は山であって山ではない。

 何か見えない生き物が富士山という山に化して存在している。

 そのような不思議な体験をした。

 その後、私は荷物を友人に持ってもらい、最後の頂上まで歩くことができないので、獣のように四つん這いで登り、頂上に到達したのである。

 だが、すぐに下山となり、頂上を実感する、味わう瞬間がほとんどなかった。

 これは登山したといえるのだろうか、今でも疑念にとらわれてしまう。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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