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続・続・母親の存在と新時代をもたらす宗教

 

 日本人は、「科学」と「宗教」を対立するものと考えるようになったのは、西洋文明の根底をなすキリスト教が科学技術とともにもたらされたために、両者を分離して、都合のいい受容をしたことから来ている。

 両者を分けて、キリスト教は必要のないものとし、科学技術だけを移植しようとしたのである。

 このような考え方ができたのも、日本が伝統的に、海外文明の受容の仕方が、海を隔てた海洋国家で、日本列島に文化が到来するためには、そうした自然の境界を命がけで越えなければならないという環境条件があったからである。

 そのためにすべてを持ってくることはできない。

 人も物資も、知的財産も、海によって移植されたため、どうしてもすべてを受け入れることはできない。そこには、取捨選択できる要素があった。

 当時の政権にとって、何が必要であり、何が不要なのか、という政権側の選択が自然に可能だったのである。

 たとえば、盛んに先進国家だった中国大陸や朝鮮半島から人や物資と知的財産を持ってくるに際しては、自由な往来から文明が移植されたわけではないということである。

 そこには、選択があり、政権の検閲があったことは想像に難くない。

 許されたのは、政府主導の遣隋使や遣新羅使、遣唐使などのような往来であり、交易だった。

 遣唐使は、中国の新文明の中で、国家に有益な分野から知的財産や新技術の取得が命ぜられた。

 遣唐使には、仏教の留学僧の派遣もあったが、これも仏教を現在のような個人の救済と信仰という次元の宗教を考えてはならない。

 国家に有益な宗教だからこそ、仏教を取り入れようとしたのである(そこには、従来の神道の神々に勢力の根拠を持っていた既得権益層の豪族の力を削ぐという目的もあった)。

 仏教僧の派遣には、政治的な意図があったということができよう。

 仏教は思想統一、政治的に集権国家、官僚など政権を有力な豪族などではなく、新しい階級制度をつくるための政治的な政策の一つだった。

 仏教による国家統治とは、古代における国民国家の建設のための国家意識の組織化である側面をもっていたのである。

 こうしたことが可能だったのも、大陸や半島国家における仏教が政治的な側面を当初から有していたからであり、中国の唐にしても、多民族国家であるために国家の統一のために、仏教などの国際的な宗教による国民意識の教育と多民族が同じ国家意識を持てるように、仏教を利用してきた面を忘れてはならない。

 そうした側面を超えて宗教が国家の政治に介入していったならばどうなるか。

 国家の主権者がもし、政策的な意識もなく、仏教を信仰して政治に直接的に反映させたならば、仏教がもう一つの政治勢力となり、その既得権益を守るために、政治にくちばしを入れ、圧力団体のようになってしまうだろう。

 日本でいえば、比叡山の僧兵がたびたび京都にデモンストレーションをした事例にあたり、中国では後梁の武帝が仏教に極度に帰依し、国家経済を傾けるような仏教政策をし、仏教僧の政治介入などをもたらし、その国力の衰退の原因になったことはよく知られている。

 政治と宗教がバランスを取っている段階ならばいいが、それ以上に過剰になると、国家の崩壊をもたらすことにもなる可能性があるといっていい。

 だからこそ、日本が海外文明の移植が海という自然の防波堤があったことは、いいか悪いかは別として、適度なところで妥協するという日本独自の文明をつくる要素となったのである(山本七平の言う「日本教」)。

 要するに、日本の伝統的な文化「和魂洋才」ということだが、それが明治期の文明開化にも機能し、科学技術だけを移植し、キリスト教の排除という政策へとかじ取りをした原因となった。

 もちろん、その当時の科学とキリスト教も、キリスト教の世俗化によって(キリスト教が科学と対立するような関係になっていた状況)、本来の姿を失っていたこともある。

 また、科学という名でもたらされた「進化論」も、生存競争、適者生存という、明治期の立身出世主義(既存の身分制度ではなく学問などによって末は大臣にもなれるという考え方)を生み出した。

 それでも、まだ強力なキリスト教の影響を排除するために、神道を国家神道という制度的なものに再編成することで、キリスト教と対抗する疑似宗教を生み出した。

 現在はまだ、神道とは明治以来の国家神道と同じものであるという誤解している面が少しあるが、本来は両者は区別されなければならない。

 こうしたことによって、日本人は宗教と政治や科学と対立するものとして、宗教が科学的に無知な人間が信じるものというふうなイメージを抱くようになったといえるかもしれない。

 だが、本当に、「科学」や「政治」と「宗教」は対立するものだろうか。

 対立するものと考え、両者が主導権争いをするために、戦争や紛争や対立を生み出してきたのだが、本当は両者は相補い、あるいは調和する存在ではなかったのか。

 そうした対立を生んだのも、宗教が個人救済を軸とした全体救済を目指し、政治や他宗教と相克と対立があったからである。

 本来の人間の姿から考えれば、個人救済というのは、絶対的ではないのではないか。

 個人で生まれ、存在し、そして完結するのではない。

 なぜならば、個人で生まれることは出来ず、男性と女性、父と母の存在がなければ、この世に個人として生まれることは不可能だからである。

 人間が個人として、生まれ存在する根底に、両親というものが存在しなければならないとしたら、人間という存在の基本は、男女、夫婦というペアで考えなければならないのではないか。

 個人救済が主体であったために、宗教の根幹である「神」という存在も、「父なる神」というふうに、男性的なものとして表現することになっている(逆に女性神という言い方もある)のではないか。

 もし、この男女のペアの存在を基本とするならば、神も男女の神、すなわち「父なる神」と「母なる神」が一つになった存在という考え方が導き出されるだろう。

 その意味では、これまでの神観は、キリスト教でも「父なる神」という考え方が軸となっていたが、そのために、単独の神による対立と衝突、相克の果てに、宗教戦争が起こったということもできる。

 平和な時代を生み出す宗教、それは個人救済の神であると同時に、夫婦や家庭、氏族、民族、国家を救済する神でなければならないとしたら、今後は、「父母なる神」という面を体現したものでなければならないはずである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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