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若者は幻を見て、老人は夢を見る

 最近では、本の活字を読むのが老眼でしんどくなり、もっぱら動画のユーチューブやティックトックを見ていることが多い。

 活字を追うのが苦になったのは、老眼ということもあるが、ビジュアルな動画の方が考えなくて済むこともある。

 これは老化というよりは、退化といっていいかもしれない。

 そう自嘲してしまうけれど、何をするにもエネルギーがいるので、高齢化すると、その体力が落ちてしまうのである。

 何もそれは読むことだけではない。

 寝ることも食べることも、考えてみれば体を休めているという部分もあるが、脳や身体の一部は常に二十四時間活動しているのである。

 まったく機能が停止した状態、それは死という状況でしかないのだろう。

 よく海のマグロは快速で泳いでいないと死んでしまうということが言われている。

 生命活動を維持するためには、不眠不休で絶えず動いていなければならないということなのである。

 マグロの場合、それが停止しないで泳ぎ続けることになる。

 高齢になって感じるのは、エネルギー発生装置である身体機能の衰えであり、細胞が死滅して再生する細胞よりも多くなるという現象だ。

 だから、眠ることも若い時代のような休息による再発進が難しい。

 長時間休んでも、どこか身体の一部の疲労が取れないという状況になる。

 もちろん、多くの身体の機能は休止することで疲労やメンテナンスをすることが必要なので、休息しているかもしれないが、それでも絶えず細胞は成長し、老化し、廃棄され、再生というサイクルを続けている。

 考えてみれば、それが当たり前で、生命は必ず例外なく、死という完成に向かっているのである。

 文芸評論家の小林秀雄は、「人間の評価は死んで初めて完成される」といったようなことを言っている。

 要するに、生きている人間はまだ途上であるために、どのような方向に行くのかわからない、それに比べると、死んだ人間はもはやそれ以上動かない。

 その評価もそれで確定できるわけである。

 ともかく、活字を読むのが難しくなったのは、基本的には老眼などの身体の衰えだが、それは何も視覚だけの問題だけではなく、気力、体力、食欲、性欲など、身体的エネルギーが衰えていくことと無関係ではない。

 本を読むということが娯楽だけのことであればそう問題ではないが、生きるための知恵や思考を鍛え、そして人生の真実を探るものであるとすれば、それは生命エネルギーが劣化していく高齢の時代には、どうしても前向きな方向性よりも後ろ向きになり、安易な方法に陥りやすいのである。

 よく若者は未来を見て、老人は過去を見る、といったような表現があるが、これは真実だろうと思う。

 若者はどうしても、未来へ夢と希望をもって心身ともに前進して、未来を切り開き、そこに新しい自己の安住の地をつくろうとする。

 それに対して、高齢者はもはや前進するエネルギーよりも過去に自分が行って来たこと、昔の思い出、そして、故郷などへ心が引かれていく。

 それはどちらがいい悪いということではなく、そうした自然のプロセスを生き物という存在は進んでいくのである。

 生命が誕生から成長、発展、開花、結実、そして新しい生命への懸け橋となり、死を迎えるというのは変えることができない真実である。

 限られた時間の中で、どう生きていくか。

 それが人間に与えられた生命のサイクルとしたら、いかに満足できる人生を送るか、幸福に生きていけるか。

 それが価値観の中心軸になるだろうと思う。

 満足した人生をどのようにグランドデザインできるのか。

 それは豊かな生活を約束する金か、愛によって愛によって死んでいく人生なのか。

 その答えは、これまでだれも答えられない問題である。

 哲学でも宗教でも、何でも、人間の本質的な生の目的について明確な回答を出したことはないといっていい。

 だからこそ、いまだに哲学があり、人生論があり、多数の宗教があり、多数の生き方がある。

 要するに、その答えは普遍的なものとして真理としてグローバルに認められたものがいまだ存在していないということである。

 なぜなら、その幸福や哲学は普遍的な公式を示しても、それを感じて答えを出すのは個々人の人生観によって異なるからである。

 ここに千人の人がいたとするならば、幸福の定義も千人ほどあるといってもいいかもしれない。

 もちろん同じような回答はありうるけれども、その個々人のケースはその個々人の人生とかかわっているために厳密には違ってくるはずである。

 個々人の幸福がその次元に治まるかぎり、それ以上の進展はない。

 個々人の幸福を追求することによって、他の個々人の幸福と衝突したり、すれ違ったりするからだ。

 その意味で、究極的な個人の完全なる救いというものが、もしあるとすれば、全人類の幸福と平和が可能になるが、果たしてどうなるか。

 聖書に、「若者は幻を見て、老人は夢を見る」といった予言的な言葉があるが、これは世界の終末に起こる現象であるとされる。

 私は高齢者になるが、幻を見たことはないが、夢はよく見る。

 火事や地震、災害、犯罪などの多発していることを考えると、現在、が終末なのかもしれないと思うことがある。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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