戦後派の詩人は、難解というわけではないが、独特の思考をちりばめた現代詩を書いている人が多い。
知的ではあるけれども、戦前戦中のような分かりやすい詩、たとえば、中原中也、伊東静雄、室生犀星、萩原朔太郎、高村光太郎のような思わず口ずさみたくなるような詩ではない。
それはいわば、絵画史における印象派から野獣派・シュールレアリズムのような写実を否定し、ひたすら内面の世界を抽象的かつ象徴的に描くように、詩的言語空間を創出し、そして、その言葉の不思議な組み合わせから、分からないながらも時代を先取りしたような不安や苦悩、焦燥、そして迷路のような精神世界を表現している。
詩人は伝統的言語空間から呪縛を離れ、それぞれの翼で羽ばたき、そして、その浮遊した詩的造形を生み出しているといっていい。
詩は、一般的な歌のように口ずさまれなくなって、詩人の内面世界を反映した現代を生きる人間存在のうめきや存在の表出となっていったのである。
そのような孤立した自己表白である現代詩が、人々の愛唱できるような詩として共感され、口ずさまれ、喜びも悲しみも共にするような文学ではなくなったことは、喜ぶべきか悲しむべきか。
その点で、現代詩人の中で、茨木のり子の詩は、実に分かりやすく、そして、その肉声が読んだ者の心を打つものがある。
茨木のり子は、戦争時代にちょうど青春期を過ごした世代であり、その苦しみと悲しみ、そして、自由なき時代に精一杯に生き抜いた。
戦後、多くの詩人は戦中に戦争賛美の詩を書いたりして、戦後、それを隠したり否定したり反省したりした。
そのような行動を取らせたのも、戦後の戦争犯罪を糾弾する風潮からであり、また過去を隠ぺいし、批判し、新たな再出発をしなければ生きていけないような「空気」が戦後空間の精神風土だったからである。
そして、そのような詩人の心は、ある意味では死んでいったといえるかもしれない。
そうした荒廃した風土から新たな文学表現を生み出すためには、戦中戦後の伝統的な詩的空間を破壊し、新たな地平から出発することが必要だったのである。
すなわち、戦中戦後の言語空間から自由になるための翼、それが海外の詩の翻訳や原語からの移植による日本の精神的土壌から距離を置いた詩人たちの新しい詩作であり、表現であった。
戦後派詩人の「荒地派」と呼ばれる詩人たちは、そのような海外の現代詩に触発され、影響を受け、その中で育った。
その意味では、茨木のり子の詩は、それらの詩人とは一線を画していると同時に、戦中戦後を生きる1人の女性としての肉声が全体から響いてくる点で稀有なものがある。
たとえば、有名な「わたしが一番きれいだったとき」という詩がある。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残して皆発っていった(以下略)
(谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』岩波文庫)
これは茨木のり子のみずからの体験をふまえて書いた詩だが、同時に、個人の感慨を超えて戦後という時代に生きた人々の声無き声でもあるだろう。
人々の生きた時代の証言ともなっていて、改めて詩というのは、孤立したものではなく、時代と人々とともに生きた表現であることを感じさせてくれる。
この詩を読みながら、私ははるか昔の万葉集の時代、日本の国土防衛のために関東などから九州まで愛する家族と離れて赴任した防人(さきもり)たちの和歌を思い出していた。
国国の 防人つどひ 船乗りて 別るを見れば いともすべ無し
わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず
唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
天地の いずれの神を 祈らばか うつくし母に また言問はむ
ちはやぶる 神の御坂に 幣奉り 斎ふいのちは 母父がため
(ウィキペディアからの引用)
和歌、すなわち詩というものは、こうした人の心の奥底にある人間的な感情、家族への思い、妻への思い、そして父母や子供への思いが一種の旋律となってあふれ出たものではないだろうか。
それが歌った人の背景にある多くの同時代の人々の共感を呼び、読み継がれ、歌い継がれていく。
言葉の表現のシンプルな中に、そうした人類に共通する喜怒哀楽の感情の豊かな地下から湧き出る命の泉が詩ではないだろうか。
そうでなければ、詩はただ個人の自己表現という個人主義的な営為の中での孤立した表現形態でしかなくなってしまう。
もちろん、それはそれで有りうることではあるが、やがて、それは枯渇していってしまうのではないか。
詩が個人の表現であると同時に、同時代の人々の意識の代弁であり、共鳴であり、そして、共に共感する表現であるということ。
文学というものが基本的に個人という檻から出て、万人のものとなっていくためには、そうした表現のシンプルさが必要ではないか、ということを茨木のり子の詩を読むとき、いつも感じることである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)