これまで、私は詩歌についての文を書いてきたが、評論家的に好き勝手なことを書き散らしてきたように思われるかもしれない。
短歌についても、俳句についても、作家についてもあたかも良く知っているかのように、書いてきた気がする。
では、実作者としてはどうなのか。
そう思っている人がいるかもしれない。
私は、現在、同人誌で短歌と俳句について投稿しているが、それは年に一回だけの発行なので、実作者として頑張っているとは言えないだろう。
それなら私もやっているという人もいるかもしれない。
私も、一年に一回ではちょっと満足できないというか、少し不満なので、改めて詩歌を実作してみたいと考えた。
とはいえ、日記のように書くのは、少しばかり満足感があっても、人の反応がないので、手ごたえがない寂しさがある。
ならば、どこかの同人誌に所属したらどうかと思っても、それはこの年齢になってみると、現実的ではない。
同人誌というのは、同じ志をもつ人々が集まるのだが、結構手厳しい批評会などがあって、それが励みとなる場合があるのも確かだが、心が折れてしまうことも多い。
ひとつの同人誌に所属しているので手一杯なので、それを増やすことはちょっと難しい面がある。
その上、テレビで有名な夏井いつき先生のような厳しい指摘をされたら、続ける気力を失ってしまうかもしれない。
というわけで、私は自分でできる詩歌の小さな趣味の会を作ることにした。
趣味という次元ならば、そうかしこまって考えるように必要もなく、また自由にやることができる。
その上、今は対面でやり取りしなくても、インターネット経由でペーパーレスの同人誌を作ることもできる。
趣味の会だから、誰でもやりたいと思う人も参加し好きなような発表する。
そういうふうに決めて、とにかく見切り発車した。
現在約十人が参加しているが、ほとんど俳句や短歌を作ったことがない人なので、ほぼ閑古鳥が鳴いている。
それでは、というわけで、私は自分自身が率先して俳句と短歌を作ることにして、毎日、俳句3句と短歌3首を発表している。
それを続けているので、今ではかなりの数になっている。
毎日、俳句と短歌を作るのは、結構大変で、ああでもない、こうでもないと嘆息しながら作るのは大変である。
まあ、そういうわけで質はあまり自信がないが、とにかく、ここで少しばかりある日の作品を紹介してみようと思う。
〇短歌
風薫る椅子に座ればわが老いの悲鳴のごとく軋みつつあり
瞑想の朝のひととき埃積む本の匂いせり老いの寂しさ
寂しさよ君に優しき風を呼ぶ五月の空はどこまでも青
〇俳句
五月雨や 革靴に蟻 よじ登る
青竹の 風に打ち合う 古都の道
山里や 石仏の顔に イトトンボ
どうだろうか。
わたしでも作れると思われただろうか。
そう思っていただければ、この文章を書いた甲斐があるというものである。
趣味の会は、まずは楽しむための表現だから、そう難しく考えることはないのである。
それとも、自分で考えていた俳句や短歌と違っていると思われたかもしれない。
俳句は別としても、短歌は「サラダ記念日」の大ブームもあって、以来自由口語の短歌が次々に若い世代を中心に生まれている。
その作品をみると、私などの古い世代からみると、到底真似ができないほど、表現がぶっ飛んでいるものがある。
それはロックやラップの音楽に接して右往左往してしまうような世代感覚の違いとギャップにお手あげになってしまったことと似ているかもしれない。
詩歌というのは、万民に平等な表現世界だが、それでも時代の流行や世代の感覚によって、影響される。
詩も俳句も短歌も、そのような世代によって、形式も言葉の使い方も変わって来るのは仕方がないだろう。
いずれにしても、趣味生活はいろいろあるけれど、ペンと紙、それさえいらないインタネットの詩歌の会をみなさんも立ち上げてみたらどうだろうか。
毎日、大変だけれど、それだけ生きがいというか、思いがけない自分の新しい姿を発見する喜びがあるのである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)