かつて、ラジオ番組で、よく聞いていたのが歌謡曲の番組だった。当時、演歌の全盛期で、その後、思春期にグループサウンズ、フォークソングが流行し、時代とともに音楽が身体感覚として滲みこんでいた。
何気なく1人でいるときに、思わず口ずさんでいたということがよくある。それは何も私だけの経験ではないだろう。
「歌は世につれ」というキャッチフレーズがあるが、歌はまさにその時代特有の精神文化を歌は象徴しているといっていいようだ。
なぜわれわれは歌を口ずさみ、流行歌手に熱狂したり、ノスタルジーなどを感じるのだろうか。歌は何のために存在しているのか。
歌という言葉について、民俗学者の折口信夫の解釈では、神に「訴える」というのが語源になるという。神に「うったえる」が「うたう」という言葉に転じたということである。
語呂合わせのようだが、歌が神に祈願する祈りに、音楽的な抑揚をつけて発生したという源流から考えれば妥当な見方であると言えよう。
たとえば、神社の宮司や禰宜の祝詞は、やや一本調子ではあるけれど、神々に呼びかけ、最後に「かしこみかしこみ」などと読むリズムは、歌の一歩手前の原型的な祈りといっていいかもしれない。
また、巫女が神楽の舞を音曲とともに舞うが、これもまた、神により訴えることが言葉だけではなく、手足などと一体化して祈る行為と見なすことができる。
その神に訴える祈りが、宮司や禰宜などの神官の単独の媒介者から発達し、多くの人々が共有するようになったのが、盆踊りや民謡などである。
そして、その神にささげる歌や踊りが神の豊穣な恵みへの感謝祭として転化したのが、秋に行われる祭りである。村で祝う秋祭りは収穫祭であると同時に、その五穀を豊かに与えてくれた神々への感謝の祭りである。
それは収穫の豊かさを神と人とで喜びを分かち合う祭儀でもある。祭儀には、お供えの共食や供応や宴などの共感、歓喜が伴う。歌や踊りが伴う。
それは、古代の儀式の原型を残し、今でも行われている天皇家の祭祀、新嘗祭などによってもうかがうことができる。新嘗祭には、天皇が神とともに共食し、共に過ごすという儀式があるが、これはまさに祭りの原型であり、神と人が織りなす歌舞音曲の源流である。
そのような神に訴える神聖な歌舞音曲が、やがて世俗化し、労働の後のただ感覚的な喜びを共に分かち合う歌や踊りになっていった。それが現在の芸能であり、エンターテインメントの源流である。
なぜわれわれが歌に無意識に惹かれ、そこに心を解放し歓喜や精神を癒すものを感じるのか。それは以上に説明したように、元々歌がただ自分個人の感覚を喜ばせるだけの娯楽ではなかったことがある。
世界四大聖人の1人、儒教の祖である孔子は、礼儀作法や政治哲学を述べるだけの道学者のような固いイメージがあるが、その孔子は音楽に非常に関心をもっていた。
孔子には中国古代の理想的で伝説的な帝王・堯、舜の時代の音楽を聞いて数か月間、肉の味がわからくなるほど感動したというエピソードがある。聖人の時代の理想的な精神文化が音楽に体現されていたからだろう。
その意味で、歌や音楽は本来、ただの娯楽ではなく、そこにその当時生きていた人々の心の世界、平和な生活が昇華した精神の象徴なのである。
そのような精神文化の昇華した歌は、またそれぞれの世代によって、その言葉の表現やリズムが違っている。若者や老人などの世代によってその好むところや共感するリズムに差が生まれる。
歌には人々の心を鼓舞したり、逆に下げたりするリズムとメロディーがある。国の勃興期には勇壮で希望に満ちた明るい音調が好まれ、国の終末の時には、悲哀や享楽に流れる歌謡が好まれて、国民感情が繁栄か滅亡に向かっていくのを知ることができる。
かつて、朝鮮半島の古代の国家・伽耶で生まれた伽耶琴(カヤグム)の音色を「亡国の音楽」として排斥されたことがあったが、それは楽器のせいではなく、それが生み出した音楽に官能的で享楽を誘う楽曲が少なくなかったからである。
そのように国の運勢を左右することもあるほど、歌の持つ力は大きいものがあるといっていい。(フリーライター・福嶋由紀夫)