黄七福自叙伝71
「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」
第5章 在日同胞の将来を考えつつ
マッカーサー将軍の銅像のこと
仁川上陸作戦(一九五〇年九月十五日)五十五周年を迎えるあたり、二〇〇五年九月十一日、マッカーサー将軍の銅像がある仁川中区の自由公園で、銅像撤去を主張する団体が、「米軍強占六〇周年反米自主宣布大会」を開き、デモを行って警察と衝突、デモ隊と警察双方に負傷者が続出する乱闘騒ぎが起こった。
銅像撤去を主張した団体は、全国民衆連帯、統一連帯、韓国大学総学生会連合(韓総連)、全国民主労働総合総連盟(民主労総)などで、四千人が、「駐韓米軍撤収」や「マッカーサー銅像撤去」を求め行進した。
集会は当初、歌やダンスの公演、演説などで平穏に進行していたが、「今年を駐韓米軍撤収元年にしよう」という内容の宣言文朗読が終わった直後から、暴力的なデモに変質した。
デモ隊は警察に向かって鉄パイプや竹などを振り回し、卵や泥を投げつけた。
これに対し、警察は盾やこん棒を振り回し、消化器を噴射して対抗し、ついに投石戦まで起きて、負傷者が続出した。
一方、黄海道民会、北派工作団(HID)出身隊員ら市民団体会員一千人は自由公園近接の女子高校で「マッカーサー銅像死守決意大会」を開いた。
彼らは「マッカーサー銅像撤去を主張する勢力は、北朝鮮共産主義者たちの立場を代弁しているもの。現政府はむしろ彼らを保護しようとしている」と反駁し、「米国主導の国連軍が韓半島の民主主義と自由を守護した」と主張した。
二〇〇五年九月十一日の中央日報「社説」は「マッカーサーは自由民主主義を守った功労者」と題して次のように報じた。
仁川自由公園内にあるマッカーサー将軍銅像の撤去を主張してきた一部の在野団体の動きが、これまで以上に組織化されており、憂慮される。
終わりのない座り込みとデモはもちろん、最近は「戦争狂マッカーサーの銅像は歴史の中に埋めてしまうべき」というある教授の寄稿に続き、「マッカーサー将軍は虐殺者」という歌まで広まっている。
十一日の集会では「占領と虐殺の象徴であるマッカーサー銅像は近いうちに撤去されるはず」と叫んだという。
彼らの言動を見ると、まさに「いまやわれわれの時代」というような”眼下無人”である。国民の意見に耳を傾けず詭弁を並べている。
彼らはマッカーサー将軍を「好戦論者」「帝国主義の象徴」「占領軍の怪獣」と呼んでいる。
しかし、これは事実関係の歪曲はもちろん、南側の正統性を傷つけようとする悪意的な宣伝扇動にすぎない。「好戦論者」は奇襲南侵した金日成であり、「帝国主義」といえば、このような金日成を支援したソ連が標本ではないだろうか。
マッカーサー将軍はこうした共産帝国主義勢力の挑発を防ぐために戦争を指揮しただけだ。それなのにどうして奇怪な論理を主張できるのか。
もし銅像撤去運動を通じて韓国社会に起きている反米感情を拡散させ、在韓米軍を撤収させようという意図があるのなら、すぐにやめるべきだ。
韓国国民がこうした扇動に乗ると判断しているのなら、それは大きな誤算であることを知らなければならない。
マッカーサー将軍は韓国戦争当時、仁川上陸作戦を成功させ、赤化危機にあった韓国を救った人物だ。そしてその銅像は、今日われわれが享受している大切な自由民主主義を守った象徴的記念物である。
したがって、これを撤去しようという主張は、赤化統一されないことを惜しむのと変わらないという点を銘記しなければならない。
しかし、彼らはこの部分でも歪曲をしている。「マッカーサーが一部の親米主義者の自由だけを守った」という主張がそれだ。
果たしてそうだろうか。むしろ、銅像撤去を主張する集会を認める自由民主体制をこの地に存続させたマッカーサー将軍を有難く考えなければならない。