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黄七福自叙伝「朝総連生野西支部のこと」/「読売新聞の偏向報道のこと」

 

黄七福自叙伝44

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第4章 民団大阪本部の団長として

朝総連生野西支部のこと

私は即座に朝総連の蛮行を糾弾するために「八・一五朴大統領狙撃事件糾弾大会」を開いた。

当日は雨だったが、二万人余の同胞が参集し、朝総連生野西支部を激しく糾弾した。

狙撃犯文世光を背後で操った金浩龍は朝総連生野西支部の政治部長であったことから、地元の民団生野北支部に崔翼龍支団長を本部長とする「朴大統領狙撃事件緊急対策分室」が設置された。

同年九月、「殺人鬼金日成集団打倒」「非人道的な朝総連粉砕」などの立看板を管内の街頭に掲示したが、その立看板を掲示して三時間の間に六十三枚が毀損されるという始末だった。

最初は三寸角か一寸角程度の紙張りの立看板だったが、朝総連が青年を動員してみな切り裂いてしまった。で、鉄板の立看板にしたが、こんどはスプレーで塗りつぶすというあくどさだった。

寝ていると、東成警察署から電話がかかってきて、「看板を持っていく奴を捕まえた」ということだった。激しい怒りが体の中を駆け巡った。

立看板を毀損して逃げる二人の男を発見した生野北支部事務部長が追いかけて朝総連生野西支部の手前に至るや、事務所から出てきた十数人の男から暴行をうけ負傷した。

このため、民団大阪本部の洪性仁青年部長ら数十人の青年らが朝総連生野西支部の事務所に押しかけ、糾弾した。

そのさなか、事務所の窓ガラスが飛び散るなど、不穏な小競り合いもあったが、朝総連側は警察に訴え出て事の収拾を図った。

そのため、洪性仁青年部長らは生野署に数次にわたって呼び出され、取り調べをうけるという始末だった。

私はこのとき、朝総連と民団とが衝突した場合、日本の警察行政は、朝総連から二人拘束すれば、民団からも二人拘束するという具合に、双方同じ程度になるように執行していると感じた。

そして、検束されてから、弁護士に頼みにいったのでは間に合わないと感じた。

その点、朝総連側は手回しがいいようだったが、私は民団にも顧問弁護団が必要だと考えた。

 

読売新聞の偏向報道のこと

民青学連事件の偏向報道により逮捕され、起訴された日本人の早川嘉春と太刀川正樹に関して、読売新聞の一九七四年六月二十四、五日付朝刊記事に対し、「韓国の国家威信を傷つけ、わが国民を侮辱するものだ」として、民団大阪府本部は六月二十七日に読売新聞大阪本社を訪れて抗議文を手渡した。

民青学連事件というのは、一九七四年の維新体制による緊急措置によって、全国民主青年学生総連盟(民青学連)の構成員を中心とする百八十名が、中央情報部によって拘束され、非常軍法会議に起訴された事件のことである。

抗議文の内容は、「一九七二年九月発行の別冊『週刊読売』のなかでも韓国を著しく中傷し、その非を認めた。今回の朝刊一面トップ記事も全く事実に反している。これは大韓民国の国家威信を傷つけ国民全体を侮蔑した挑戦であり、大国意識と排外思想の現れである。このような所業はいかなる理由と狙いによってなされたのか、われわれは長期かつ広範な運動によって真相を解明し、責任を追求すべく厳重に抗議するとともに猛省を促す」というものであった。

私はその抗議文を読売新聞に渡し、「読売新聞の偏向姿勢は見過すわけにはいかない。出方によっては強硬な大衆運動を展開し、要求が受入れられるまで闘う」と糾弾した。

七月四日に、古沢公太郎同紙社会部長が大阪本部を訪れ、「①東京から送られてくる記事は大阪でも裁量する②韓日友好関係を維持する③駐大阪総領事館にも謝罪を申し入れる」などを口頭で述べ、謝罪した。

これに対し、私は「民団側の勝利として一応満足するが、今後も読売新聞の出方を継続して見守っていく」と語った。

その後、読売新聞は編集局長の黒澤、社会部長の黒田清、社会部記者の塚田で親民団的になり、色々と逆に世話になった。

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