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黄七福自叙伝「朝総連系同胞母国墓参のこと」/「韓国の真の姿を見聞した朝総連系同胞のこと」

 

黄七福自叙伝51

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第4章 民団大阪本部の団長として

朝総連系同胞母国墓参のこと

歴史的な「七・四南北共同声明」は、発表の翌七三年八月二十八日、北朝鮮側の一方的な中断声明によって、全民族の期待は裏切られた。

しかし、離散家族の再会を目的とする南北赤十字会談の基本精神に基づく人道事業として「朝総連系同胞墓参事業」が、民団の献身的な努力によって始動するようになった。

私は仕事をするとき、必ず心理分析をし、戦略を立てて実践することを旨としている。

中央情報部の李哲熙次長が大阪にきて、私に会いたいということで、ロイヤルホテルで会った。

これは当時、民団大阪本部監察委員長であった張起説がよく知っていたことで、朝総連組織を解体する方策についての意見交換だった。

私はまず、こう言った。

「朝総連は鉄の意志みたいな団結がある」

「入る隙間がないか」

「隙間はある」

「どういうことか」

「人間というものは、二十歳前後になると、ものすごく生意気になる。ここで下手にくずれたら、不良の道に入ってしまう。在日同胞の場合は、幼いときに日本にきて、たいていの者が、自分の故郷のことも忘れて、親も忘れて、一心不乱に生きてきた。ところが、四十、五十歳になると、自分の生まれ故郷を無性に思い出すようになる。故郷の家の庭に大きな木があったのに、その木はどれぐらい大きくなったやろか。子どものとき、あの海辺へよく泳ぎにいったが、その海はどうなったやろか。日本にきて四十年、五十年になる在日同胞は、自分なりに過去を回想しながら、夢のように思い出す。総連同胞は赤やから韓国へ行ったら、殺されるというけど、いっぺんは行ってみたいと願っている。これが朝総連の隙間だ」

私は、このように朝総連系同胞の心理を分析し、説明した。

しかし、朝総連系同胞の墓参は、反共法違反になることだった。

後日、その担当者となった鄭光河という大阪駐在の領事から、

「李哲熙次長が、日本から帰ってきて、黄団長からこういうことを聞いたと言って、その内容を金永光が青瓦台でブリーフィングをした。それで、大統領が英断し、朝総連系同胞の墓参事業が許可になり、はじまった」

ということを聞いた。

私自身はその経緯を預かり知らぬことだったが、反共法違反になる朝総連系同胞の墓参事業が、そのような形で始まったことを教えてくれた。

私は、一九七四年八月十五日の本国での光復節に参加した折、本国のテレビ局のインタビューに応じて、

「八月十五日の光復節には恒例の記念式典参観団を毎年送っているが、その祖国光復の大きな歓びの輪の中に朝総連系同胞も加え韓民族の原点から正しい祖国の認識を求める」

という話をし、朝総連系同胞の母国訪問を呼びかけ、大きな反響を呼んだ。

 

韓国の真の姿を見聞した朝総連系同胞のこと

共産主義者は、目が黒くても、口では白い白いといい、そうした嘘を百回宣伝したら、その宣伝は本当になってしまう、つまり、そう信じてしまうものだ。

そのようなことから、朝総連系同胞は、北朝鮮の嘘の宣伝を信じるようになり、韓国のことは信じないというのが現実になっていた。

そこで、故郷へ行ってみたいという願う朝総連系同胞に、ソウルの写真や韓国の実情を写したいろいろな写真を見せて説得した。

その人は、「韓国へ行ったら殺される」という妻の制止を振り切って、「とにかく行ってみる」と、意を決して行った。

そうした数人が、最初の墓参団だった。

すべては隠密に行動した。人間の目は正直だから、彼らは、ソウルの発展する姿を見て、そして自分の故郷に行って見て、北朝鮮と朝総連が言っていたことがデタラメであることに気づいた。

ある同胞は、一週間で帰る予定だったが、一週間過ぎても帰らず、すると、その妻が、「韓国へ行くなと言っていたのに、行って殺されたに違いない」と心配した。

そうするうちに、伊丹空港から電話があって、「帰ってきたぞ」と明るい声が響いた。

その声を聞いて、「ああ、生きて帰ってきた」と喜んだという話も聞いた。

どんな場合でも夫婦の寝間には秘密というものがない。秘密にしたいことでも、ついポロッとしゃべってしまう。

「うちの家の前、石ころだらけの道だったが、今はアスファルトを敷いて、村の家は全部コンクリートでやりかえて、見違えるほど変わった」という具合だ。

その話を聞いた妻は、次の段階で井戸端会議になる、「うちのおっさん、こんなんいうてた」と。

そういう形で、墓参団の見聞は次々に広まっていった。

こうして次第に、秘密にすることもなく、故郷へ行ってみたいという人が増えてきた。事態は、第二段階に入ったのである。

一九七五年三月十八日、駐大阪総領事館九階で催された「新旧総領事歓送迎会」の席上で、新任の趙一済総領事が私の提案と題して挨拶し、

「この場に色々な事情で参席できない朝総連系同胞の方々は故郷の懐しい山河を忘れ去ってしまったのでしようか。皆さんが抱いている韓国に対するイメージは、北朝鮮が宣伝しているようなものではありません。虚偽宣伝に騙されるのはこれで終りにしましょう。望郷の想いは誰もが同じです。朝総連系同胞の方々が望むなら、私は職責をかけて皆さんの懐しい故郷を訪問できるよう、あらゆる便宜を図りましょう」と述べた。

これに対し、私は、

「趙一済総領事の呼びかけに対し、組織指導者の立場からも共鳴すると共に、民団としても積極的に推進する方針である」

と力説した。

こうして、民団大阪本部は、朝総連系同胞を懐かしの母国へ訪問させる準備に取りかかり、管下三十六支部に指示した。

そして、一九七五年四月十五日、「朝総連系同胞母国省墓団」の第一陣三十一人が懐かしの祖国を訪問したのである。

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