2025年のNHK大河ドラマは、江戸の出版文化をけん引した蔦屋重三郎、通称蔦重が主人公である。
蔦重といっても、まだ知らない人がいるかもしれない。
要するに、現代でいえば出版プロデュサーのような仕事、そして出版活動を通じて江戸文化をけん引し、以後明治時代まで日本的な文化の先駆者として知られた人物である。
具体的に言えば、浮世絵の美人画で知られる喜多川歌麿の名作を世に出し、一番有名なのが、今も謎めいた存在として論議を呼んでいる浮世絵画家・東洲斎写楽を売り出したことであり、出版業ではベストセラー作家の滝沢馬琴、山東京伝などの戯作本や太田南畝の狂歌などを手掛けたことが有名だ。
いわば現代版のマスメディアの走りのようなことをした人物といっていいだろう。
この蔦重が存在していなかったら、現在までの日本の出版文化、映像メディアなどは別なかたちになったかもしれない。
ベストセラーの仕掛け人ともいうべき人物だが、これまではほとんど取り上げられていない。
それだけ小説などのドラマの題材になりにくい存在だったということができる。
蔦重は寛延時代から寛政時代を生きていて、その生涯は成功と政権からの弾圧などで波乱の生涯を送っている。
大河ドラマがその蔦重にスポットライトを当てたのは、従来にない視点で、江戸時代を見つめなおし、そして、現在のメディア文化への一種の総括や批評といった面もあるかもしれない。
何しろ蔦重は、江戸時代の封建制度の中で、出版の自由、表現の自由といったものの象徴的な存在で、たびたび時の政権から取り締まりを受けて投獄されたりもしているからである。
当時の賄賂文化の代表のように後世見られている田沼意次時代以降は、惰弱に走った精神を正すという幕政をリードした松平定信の政策もあって、武士道精神を惰弱にする町人文化、特に質実な文化をあざ笑うような地口や批判、風刺などを含んだ出版物はことごとく禁止された。
その被害をこうむったのが、蔦重こと、蔦屋重三郎であったのである。
といっても、反体制派的な思想的背景があったとは思えず、ただ新しい文化の発信をし、それによってベストセラーを生み出し、江戸時代の流行の仕掛け人として活躍したといっていいだろう。
江戸時代は武士の時代であると同時に町人の文化が花開いた時代で、現代の日本人の伝統的な精神文化のルーツを形作っている。
その蔦重の最初のベストセラーは、当時の流行の発信地だった吉原の遊女の評判を扱った本で、これは現代のタレント名鑑や評判記のようなもので、それが吉原人気もあって売れに売れた。
何しろテレビも新聞も雑誌もなかった時代だから、こうしたマニュアル、評判記のようなものは誰でも欲しがったわけである。
特に当時世界的な大都市だった江戸は百万人の人口をかかえ、地方出身者にとっては、一度は見物したい観光地であった。
江戸がそうしたあこがれの対象になったのは、特に幕藩体制の維持のために、各地の地方大名に参勤交代という義務を江戸幕府が課したからである。
大名の家臣は、一部を除いてはおおよそ既婚だろうが独身だろうが、単身赴任として江戸に一時的に滞在しなければならなかった。
現在のビジネス・パーソンのように地方支社の赴任というものに似ているが、参勤交代による単身赴任はほとんど手当もなく、小遣いもない、そんな手元不如意の中で江戸で生活をしなければならなかった。
特に下級武士にとっては、単身赴任用の長屋に押し込められ、そこで自分で炊事しながら生活をしたのである。
仕事としては、地方のように勤務先である城に登城するような厳密なスケジュールがあるわけではない。
なので、金もない中で、倹約をしながら時々贅沢をする中で、江戸を観光していくしかない単調な生活を過ごした。
自然に、何か楽しめる娯楽に飢えていた。
その単身赴任の勤番侍相手に、戯作本などを貸したり売り歩いたのが担ぎの商売をしていた商人である。
退屈していた勤番侍は、一応藩の教育機関で教養を学び、字も読めたので、戯作本などは暇つぶしになる格好のエンターテインメントだった。
そこに目を付けたのが蔦重だったわけだが、そのほか流行の仕掛け人としては、武士向けの戯作本の発行のほか、地方からの出稼ぎの商人や町人、観光に来た裕福な百姓などを相手にした土産物として、美人画や風景画、歌舞伎の役者絵などを売り出した。
地方だと情報が少ないので、流行の発信地である江戸で今はやっているものを知りたい、それを土産にして持って帰りたいと思うのは、自然な感情だろう。
というわけで、江戸の寺院や観光地をめぐり、おいしい食べ物を味わったのちには、江戸土産として色彩豊かな浮世絵が売れに売れたわけである。
こうして大成功を収めた蔦重だったが、こうした芸能文化、特に低俗と思われた町人文化、流行を扱った出版物は、武士道精神の復活と政権維持に質実剛健な精神文化を求めた体制側にとっては、非常に都合が悪いものだったことは言うまでもない。
そのような江戸時代の出版文化の興隆によって、幕末から明治時代へ至る激動の時代を生き延びるエネルギーが「べらぼう」の背景にはあふれているのかもしれない。
いずれにしても、テレビや本、雑誌などの既存のメディアからネットを中心とした情報革命時代の転換期の今、「べらぼう」に学ぶことは少なくないだろうと思う。
(フリーライター・福島由紀夫)