NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が好調のようだ。
これまでは、戦国時代や江戸時代、幕末のような時代をテーマにしたものは人気があったが、それ以前の時代となると、視聴率的にも苦戦を強いられていた面がある。
特に、群像劇的なものはドラマを見る上では、焦点が絞りにくくわかりにくくなってしまう点もある。
その意味では、昨年、「鎌倉殿の13人」の資料を読んでいたときに、面白くなるのか、はなはだ疑問を感じていたことを告白する。
今では不明を恥じる次第だが、それだけ戦国時代以前のドラマは視聴者の共感を得ることが難しく、また多人数の群像ドラマは受け入れられにくいということである。
どうしても、他に抜きんでいるヒーロー的な人物に共感しやすいということがある。
群像ドラマだと時代を描いているので、個人的なヒーローとして感情移入することが難しい。
それだけ戦国時代から江戸時代のキャラクター、織田信長や徳川家康などの強烈な印象をもつ人物の人気が高いということもあるだろうが、そのほか、時代的な面であまり馴染みがないということもあるかもしれない。
確か司馬遼太郎だったと思うが、東洋学者の内藤湖南の文を引用して、現代の日本人が同じ日本人として共感・理解できるのは室町時代までで、それ以前は文化的に断絶していて、理解できないと指摘した文を読んだことがある。
室町時代は、日本文化の伝統的な精神文化、茶道・華道・禅・能などが花開いた時代で、それが現代まで継承されていて、心情的にも共感しやすいし、理解できるものがある。
こうした武家文化から江戸時代の平和、そして近現代へと連続して繋がっていくのだが、室町時代以前の文化、特に平安時代は貴族文化であり、その時代の慣習や生活スタイル、精神文化というものは、一旦途切れていて、表面的に理解できても、その深層文化は理解するのが難しいという。
ある意味では、仏教や神道の精神的な背景があっても、社会構成は貴族と庶民がまったく断絶していたということを意味するのかもしれない。
よく江戸時代が封建社会と言われているが、西洋的な封建社会とは違っていて、上流階級であった武家と下層階級の商人や農民は西洋のような身分差別というのは表面的にはあったかもしれないが、その実、流動的でその階級の入れ替えも可能だった。
武家も商人がその身分を買い取って、武士に成り代わることも可能だった。
よく知られているのは、幕末の坂本龍馬であり、代々武家になる前まで実家は商家だった。
それは幕末・明治時代に活躍した勝海舟も同じで、数代前は越後(新潟県)から来た盲目の検校(けんぎょう)だったことが知られている。
盲目の人はあんまなどを職業としたが、社会的弱者であるために、幕府から金貸しの権利を与えられて保護されていて、その副業によってのし上がった。
何しろ高利貸しでは貸し倒れがあるけれど、検校などは幕府に訴えて、政権の力によって貸し倒れを防ぐことができたのである。
ただ勝家を買い取った曾祖父の検校は、自分が死ぬ前に貸した相手の証文を全部焼き捨てさせたという話があるほどの人格者だったことが知られている。
それが激動の時代、暗殺の危機を幾度も乗り越えた勝海舟にも受け継がれているといっていいだろう。
その意味では、江戸時代は封建時代とはいっても、ゆるやかな身分制度であり、入れ替えもあり得た流動的な側面を持っていた。
その点では、厳然たる身分社会であった韓国の李氏朝鮮王朝時代の封建制度とは違っているのである。
韓流時代劇の「ホジュン」などで知られているように身分制度は厳格で、ホジュンは妾(めかけ)の生まれだったために、どんなに優秀であっても、官僚の登用制度だった科挙を受けられなかった。
そういう点では、日本と韓国における封建社会というのは差異があることを知らなければならない。
NHKの大河ドラマに戻れば、戦国時代以前の舞台が人気がないのも、現代のわれわれにとって、感性的に理解できない時代だからということもあるだろう。
下剋上という乱世をのし上がっていく戦国武将の姿は、現代の資本主義社会における企業の生き残りをかけた競争社会と通じるものがあり、実際、織田信長や徳川家康の戦略や戦術は企業経営の手本となったり、ビジネスパーソンの生き方、人生観の参考にすることができた面もある。
ところが、平安時代の貴族社会というのは、同じ日本といっても、その生活スタイルや慣習、文化は現代人とはかけ離れていて、共感できるような要素が皆無ではないけれど、まったく難しい。
平安時代の貴族を主人公とした大河ドラマを思い浮かべても難しいのである。
もちろん、平安時代から流動的な時代になっていくと、源平合戦のようなドラマにしやすい題材も出て来る。
しかし、この鎌倉時代の武家の倫理というのは、江戸時代のような武家とは違っていて、同じ武家であっても、その落差にとまどう面がある。
たとえば、源頼朝と同じ兄弟ながら殺し合うことになる、源義経や木曽義仲などの争いは現代人の感覚では理解しがたいといっていい。
そこには、わかりやすい江戸時代的な家督争いや兄弟の不和といった義理人情が幅を利かせた時代感覚では到底分かりえないものが存在している。
なぜ義経を敵として追放し殺さなければならなかったのか。
もちろん、歴史学者などの解釈によって、そこにおける政治的な問題や武家社会における問題などを知的に理解することはできるけれども、感覚的にはどうも納得しがたい不可解さをぬぐいえない。
同じ日本人とは思えないほど、倫理道徳観念が江戸時代とはかけ離れている。
そのような理解しがたい時代であるがゆえに共感ができず、NHKの大河ドラマの時代テーマとして不人気だった室町時代以前の平安・鎌倉時代だった。
それをものともせずに、現代人にもわかりやすい物語とした「鎌倉殿の13人」は、三谷幸喜というヒットメーカーの手腕が大きかったと言えるだろう。
喜劇的である同時に、悲劇的な暗さをもった時代劇として、新しい世界を提示した三谷脚本だが、それでも、不気味で理解しがたい印象は残っている。
決してわかりやすいものだけではなく、陰鬱な時代の空気をもそのまま提示している三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」に注視していきたい。
(フリーライター・福嶋由紀夫)
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