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65年ぶりの劇的な出会い 第21次南北離散家族の対面

南北離散家族の対面団

 

第21次南北離散家族の対面が8月20~22日に韓国側の訪問団89人(当初93人)が北朝鮮側の離散家族185人と出会い、24~26日には北朝鮮側の訪問団83人(当初88人)が韓国側の離散家族337人と対面する方式で進行された。主に朝鮮戦争により別れた家族らは、お互いの無事を確認して抱き合った。

南北離散家族の対面は、1971年8月20日南北赤十字社による予備接触で初めて議論された後、持続的な接触と議論の結果、ついに1985年に分断後初めての離散家族の対面が成し遂げられた。以後2015年10月まで20回に及ぶ対面と7回の画像対面が成り立ち、結果2万 3519人が離散家族と再開し、6万 5674人が家族の生死を確認し、1万 1472人が書信を交換した。

現在まで登録された離散家族の対面申請者の内、生存者は5万 6862人である。分断の長期化と離散家族の高齢化によって、北朝鮮側の家族との対面を申し込んでもその恨みをはらすことなく亡くなった人々の数字は、すでに生存者数をはるかに越えた。離散家族の対面申請者の中での高齢などによる死亡者数は、先月31日に7万 5741人と集計された。7月にも316人の離散家族が北朝鮮側の家族に会えないまま目をとじた。

南北離散家族の対面団

個別対面のため金剛山ホテルに到着する北朝鮮側の家族ら

 

南北離散家族の対面団

乾杯をする離散家族の家族ら

今回の行事参加者のうち最高齢であるペク・ソンギュ(101)おじいさんに会った北朝鮮側の嫁と孫娘は、ペク氏の肩を握りしめてずっと涙を流した。孫娘であるヨンオクさんの嗚咽にもペク氏はずっと顔に微笑を浮かべた姿だった。ペク氏と同行した韓国側の息子ヨンソンさんはペク氏の嫁に向かって「(私の)兄嫁様でいらっしゃいます」と挨拶した後、ヨンオクさんには「私が(君の)小さいお父さん」と話した。ペク氏の嫁は封筒で死亡した夫(ペク氏の息子)の昔写真を取り出して舅に見せて「昔の写真が古くて新しくコピーして持ってきた」と説明した。

イ・ギスン(91)さんは北朝鮮側の息子に会うや否や兄弟の名前を一人一人尋ねて、本当に自分の息子か確認をした。だがイ氏はすぐ「私の息子だ。 私の息子だ」と喜びを爆発させた。息子は対面中ずっと目がしらが赤く、イ氏も対話途中しばしば涙を流した。息子は「大きい叔母は八十六に亡くなられました」としてお父さんが心配している北朝鮮側の家族と親戚の便りを伝えた。

シン・ジェチョン(92)さんも北朝鮮側の妹に会うや否や抱きしめて顔をこすって涙を流した。妹のクムスン(70)さんは共に来た息子を兄さんに紹介し、続いて三人がまた抱きしめ涙を流した。シンさんは妹が「母ととても似ている」と話し、妹に直接りんごを食べさせたりした。これに対しクムスンさんは同行した兄さんの夫人チャ・ボンイムさんに向かって「私は兄さんよりもお義姉さんに感謝です。お義姉さんが兄さんによくして下さったおかげです」と何度も感謝した。

パク・ギドン(82)さんの北朝鮮側の家族である妹パク・ソンブン氏と弟パク・サムドン氏は昔の写真数十枚を封筒に入れてきた。サムドン氏は白黒の家族写真一人一人を指しながら「これがお兄さん(パク・ギドン)の写真です」と説明した。その姿を見守るソンブン氏は言葉もなくずっとハンカチで涙をふいていた。

2000年から離散家族の検索申請をしたチョ・オクヒョン(78)さんと弟チョ・ポクヒョンさんは朝鮮戦争の時別れた北朝鮮側の二番目の兄さんが今年死亡し、代わりに二番目の兄さんの子供に会った。チョ氏は赤十字社で連絡受ける前、弟ポクヒョンが電話で兄が生きていれば85才だと話し「北朝鮮で兄さん達が生きているとも考えられたが、連絡した少し後に赤十字で亡くなったと電話がきた」と惜しんだ。

北朝鮮側の甥に会ったキム・ジョンサム(79)さんは自身が数年前開城工業団地で会った北朝鮮勤労者が甥であるかもと感じたが、違ったという。キムさんはこの日韓国側に住む兄キム・ジョンテ(81)さんとともに北朝鮮を訪問して北朝鮮側の兄嫁と甥であるキム・ハクス(56)さんに会った。キムさんは前日ソクチョで取材陣に6~7年前まで開城工業団地で北朝鮮勤労者15人程度とともに大工で仕事をしたとし、今回の対面行事を通じて会う甥が開城工業団地で会った北朝鮮勤労者と名前が同じで年齢が似ていると明らかにした。当時キム氏は「(共に仕事をした北朝鮮勤労者のうち) 50歳程度のキム・ハクスさんがいた」として「今回甥の名簿を受けたところ名前が同じで、年齢も似ていて驚いた」と話した。キムさんは開城工業団地でキム・ハクスさんとともに仕事をする時、彼に靴下とコンクリート専用の釘などを用意したと回顧した。

21日午後の団体対面を最後に2日目の日程を終えた南北離散家族らは、1日後に近づく長い別れ準備に入った。祖国解放の時生き別れ、73年ぶりに劇的に再会した韓国出身の姉キム・ヘジャ(76)さんは弟ウナ(75)さんとまた別れなければならない心境を押し殺して話をしてくれました。キムさんは団体対面場で再開した弟ウナさんに何度も「愛している」と切ない心情を惜しみなく表現した。照れくさそうに笑うばかりだった喜寿の少年は「あなたは愛しているという言葉をしないの」という姉の言葉に、その時始めて「お姉様を尊敬します。お姉様が私を愛してくれるのがとても良くて」と恥ずかしそうに話した。キムさんは今でも夢見ているようだとしながら、赤ん坊の時別れて73年ぶりに会ったものだが、このまま別れないでずっと一緒にいたいと繰り返し惜しんだ。

初めての対面で多少ぎこちなさが感じられた初日と違い、2日目の団体対面場では午前の個別対面時間と家族水入らずの昼食の時間を持ったおかげか、より一層親しくなった雰囲気だった。だがこの短い対面の時間だけでは「70年分の懐かしさ」を解くにはあまりにも時間が不足なようだ。パク・ギドン(82)さんはこの日の団体対面場で北朝鮮側に住む二人の弟妹と和気あいあいに話に夢中になりながらも、とても短い出会いが薄情なように「60余年ぶりに会ってうれしいが別れることを考えればとても悲しい」と物足りなさを表わした。

 

今回の南北離散家族の対面を通して、南北の関係者たちは異口同音に離散家族の高齢化を言及した。5年後にはこの方々がみな亡くなるかも知れないと心配し、早く南北関係が解決され、全ての方が家族に会えたらと話した。一方文在寅大統領は20日、大統領府首席・補佐官会議で「離散家族の対面をより一層拡大してスピードを出すことは、南北がしなければならない人道的事業の中でも最優先的な事項である」とし、定期的な対面行事はもちろん全面的な生死確認と画像対面・常時対面・書信交換・故郷訪問などの対面拡大方案を実行しなければなければならないと強調した。

南北協会ニュースレター2018年9月合より記事、写真抜粋)

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